2013年02月08日

続・地方はコワイか?

地方について、前回続き。

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タグ:近隣、地域
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2013年01月29日

地方はコワイか?

まだまだ地方の話しは終わったわけではなく続いている。
今日などは、東京新聞を数日分まとめ読みしていたら、該当話題があったので後で読もうとしていつの間にかその記事がどこかへ紛失していた。(たぶん、掃除の途中で使ってしまった。汗;)続きを読む
タグ:近隣、地域
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2013年01月10日

続・秩父よいとこ、一度はおいで。もしくは秩父事件

そういうことで、自分が行く祭りの由来を調べていたら、思わぬ拾いものがたくさんあった。

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タグ:秩父
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2012年12月28日

秩父よいとこ、一度はおいで。

肩車されて曳山を見る子どもと、秩父の父■今月のはじめ秩父夜祭りに行ってきた。

東京の通勤圏--立川、府中、我孫子、松戸、高円寺、豊玉(練馬)、埼玉南部--を家賃基準で漂流するようにしか住んだことのないわたしは、祭りに接する機会がなかった。秩父夜祭りについてもそうで、調べるとずいぶんと歴史のある祭りなのにわたしはまるで知らなかった。秩父と同じ埼玉県に25年間も住んでいるのに、だ。


夜祭りもそうだが秩父鉄道にも乗ったことがなかったし、秩父の煎餅が超絶おいしいことも知らなかった。実のところ今もあれを食べたくてたまらない欲求が沸き上がって仕方がない。おおげさでも宣伝意図でも何でもない。偶然にも昨日、職場の人が製造、販売ともに同じく埼玉であるJAの○○煎餅をくれた。これはラッキーと喜んだのもつかの間、秩父の煎餅のカプと囓って広がる香ばしさとウマミには遠く及ばず、肩を落としてボリボリしていた自分だ。


わたしをこの秩父行きに誘ってくれたNは、今は亡き両親と行った筑後川の花火大会が忘れられず、一年中どこかの花火大会を渡り歩いている。秩父夜祭りもメインとなるのは「曳山」ながら、同時刻に花火大会も行う。Nは曳山や夜店にはほとんど興味を示さず、花火が上がる度にふらふらとそっち方向へ彷徨うため、こちらも付き合って長く歩いた。


その秩父夜祭り、せっかくだから由来などを調べた。これがなかなかにキリのない行為で、wikipediaで調べると次々と用語をクリックしていって次々タブが開いてどんどん広がっていく。まったくキリがない。それでもその中で浮かんできた秩父のイメージは、テレビの旅行番組、紀行番組、「鶴瓶の家族に乾杯」などのフィルターを通さない自分なりのものだ。
正しい間違いの尺度はさて置いて、浮かんだ姿を書き記しておく。

(眠くなったら途中まで)






■秩父夜祭りは秩父神社の祭り

調べると「秩父夜祭り」は日本三大曳山祭りのひとつであると書いてある。
「日本三大○○」と聞くと大層すごいものだろうと思うが、その割にはあまり聞かない話しなのはわたしが極端に寡聞なせいなのか。そもそも曳山祭りとは何? というあたりから調べると、曳山とはどうやら「御輿」(みこし)のことらしい。ただし呼び方は「御輿」とは限らず、「山車」(だし)「屋台」(やたい)などもある。
つまりみんなで担いでワッショイワッショイとやる、あれのことなのだ。


日本の曳山祭_地域別

↑日本全国にこんなにたくさんある曳山祭り!!

御輿を曳いてまわる祭りがこんなにたくさんあるって、みんな知っていることなんだろうか?
これを見ると日本人って、御輿かつぐ祭りのために生きていると言っても過言ではないくらいだ。

けれど、それほど知れ渡っていることにも思えない。なぜか?
(それは後で考えよう)



さて、曳山祭りがたくさんあるのはわかった。現在もみゃくみゃくと行われていることは、各祭りをリポートする有志のWEBで確認、直近2012年にもちゃんと行われているのも確認した。

曳山祭りがおおむね地元の神社仏閣に由来していることも確認した。
上記サイトによると曳山祭りの元祖は京都の祇園祭りだ。祇園祭りの場合、29日間の長きにわたって様々な祭事を行うため、曳山だけをやるわけではない。(参照:祇園祭2012 - 祭りの主な日程:京都新聞

が、やはり「16日の宵山と17日の山鉾巡行」がメインとなっており、どちらも大変に大がかりな曳山のようである。
ここらへん、無知なわたしにwebは、あふれんばかりの画像、有志のリポート、Youtubeでもって知識面はもとより、その熱い熱気を伝えてくれた。

子どもの頃にテレビで祇園祭りを見ても正直何をやっているのか、何が面白いのかわからなかったが、調べれば調べるほど「なんでこんなすごいの知らなかったんだ!! 来年は実物を見に行かなくちゃ!!」という気分になってくる。

ついでだから書くと、この祇園祭り、始まったのは貞観年間だ。その頃大流行した疫病をおさめるために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念。さらに869年(貞観11年)には、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身・牛頭天王を祀り御霊会を執り行った、という。平安時代は京都が都であったから、自分たちの地域だけではなく、全国66の国の悪霊退治もしたのだろう。これが曳山祭りの起源ということになる。

ところでこの「869年」という数字。どこかで見覚えがあると思ったら、貞観地震の年だ。貞観地震とは、昨年3月に起きた東北地方太平洋沖地震+大津波の、前の前の同バージョンなのである。(すぐ前は1500年)

平安の人々が見た巨大地震を再現する--西暦869年貞観津波-- AFERC NEWS 16号(地震・活断層研究センター > 産総研)

新年度にあたってのご挨拶-- AFERC NEWS 22号(同)

上リンクは、東北地方太平洋沖地震が起きる半年前にはすでに、東北の大地震+大津波の研究・予測が相当すすんでいたことを示す。さらにそれが周知していなかったことを悔いる翌月の新年度挨拶と、複雑このうえない気持ちになる2pdfだ。


余談になるが、今後はどんどん周知していってほしい。その際は新聞やテレビを使わなくても、ツイッターに流すなりして、大メディアではない経路で教えてほしい。(テレビ新聞もいいがそれだけではなく。第一わたしの場合マスコミ見てない可能性が高いため。よろ。)


そんなで陸奥の国に大地震と大津波の押し寄せた年にはじまった曳山祭り。
当時の情報伝達手段や経路がどんなだったかは不明であるが、意外と速く都は情報をキャッチしたのではなかろうか。


■秩父神社がまつっているものは。

話しを秩父に戻そう。秩父神社とは何なのだ? というあたりを調べてみる。
秩父神社がまつっているものは、公式サイトおよびwikipediaによると四つある。

  1. 八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
  2. 知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) - 八意思兼命の十世孫で、初代知知夫国造
  3. 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) - 鎌倉時代に合祀
  4. 秩父宮雍仁親王 - 昭和天皇の弟。昭和28年に合祀




……なる、ほど。漢字が多くて難しすぎるので、それぞれを調べてみる。


▼1:八意思兼命
やごころおもいかねのみことは、『古事記』に出てくる神で、知恵を意味する。「数多の人々の持つ思慮を一柱で兼ね備える神」の意味がある。


▼2:知知夫彦命
武蔵国西部にあった知々夫国の国造。
いつ頃かというと「崇神天皇の時代」(紀元前148年から紀元前29年)だという。
「国造」とは「大和朝廷の行政区分の1つである国の長を意味し、この国の範囲は令制国整備前の行政区分であるため、はっきりしない」とwikipediaに書いてある。そのため、不明な点が多くなる。一番興味の対象になるのはその国(この場合知々夫国)の自立度だ。どの程度中央(というものがあったとして)の支配下、もしくは影響下にあったのか。それとも独立国家のようにやっていたのか?

たとえば「大和朝廷」という言葉からして昨今では疑義をもたれているらしく、「天皇の政治の場である朝廷はこの頃まだできていない。ただしヤマトという国はあった」と説明されている。かと思うと同じwikipediaであっても「大和朝廷」「大和朝廷」と連呼している人もいる。「大和朝廷」が実在したのかしないのかくらいハッキリしてくれるとありがたいのだが。
ともかくその知知夫彦命、秩父神社を紀元前87年(wikipedia秩父神社による)に作った人、であると同時にここに祀られている。


▼3:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
この神も『古事記』の登場人物で、日本神話の神。
ただし、この神をまつるのは明治の神仏分離以後のことで、本来まつっていたのは、妙見菩薩だ。


ここらを詳しく言うと、明治の新政府が1868年(明治元年)に太政官布告(通称神仏分離令、神仏判然令)を発した。
その意図は、必ずしも仏教撲滅ではなかったが、仏教と神道を分離させてどっちかハッキリさせる、というものだったようだ。明治政府は、神道を日本統一の基盤にしたかったらしいのだ。その結果「廃仏毀釈」が全国でおき、多くの仏教系の像や建築物が破壊された……(画像検索


秩父神社はその難を逃れるために、本来まつっていた仏教の妙見菩薩を、同じく宇宙系でキャラクターの似通った天之御中主神にさしかえた。


▼4:秩父宮雍仁親王
この方は、昭和天皇の弟君。
「宮家=みやけ」というのは天皇家の人しか名乗れない。今現在、「秋篠宮」が有名どころ。
秩父宮はご本人が20才の時に創設した宮家なんだけど、残念ながら子女に恵まれず1995年に断絶した。




★ ★ ★

ふーーーーっ。
これだけのことを調べるのにほぼ半月かかった。もしもインターネットがなかったら、これの半分も知り得ることはなかったろう。


特徴的なのは、秩父神社が祀っていると公式に発表しているものが、ことさらに神道であることだろう。
それでいて本当の心は妙見菩薩(仏教)にある。(公式サイトを読めばわかる)
さらにさらにもっというと、公式サイト曰く「ところで、このお祭りには更に古層とも言うべき隠れた神聖コードが潜んでいます。それを解読するヒントが、ご神幸行列の先頭を行く大榊に巻きつけられた藁づくりの竜神です。」と、神聖コードというか、裏コードの存在を明かしているのだ。これは、ひょっとしてダビンチコードの影響かもしれないけども、なんかすごく嬉しくなった。本当のことを言ってくれる、というのが大変にすばらしい。

中央との折り合いをつけ、上手にやっていくための神道の神々。
ここらは政治面ばかりでなく、スポンサーの問題もあったようだ。誰かが支援してくれないと成り立たないのが信仰系であるから、その時々の有力者の好みや、世間の流行(平安時代に妙見信仰が流行)にも合わせて、取り入れていった。しかし古層にあるものは…


秩父夜祭り、昼間のメインストリート

大丈夫かなぁと心配になる寂れムードの秩父市内。どこも地方はそうだと言うけれど。

寂れてしまいました

寂れ具合はかなりのもので、その割に人がめげてないみたいのが救い

誇らしげに山車にのる男たち

とにもかくにも祭りなので



タグ:秩父夜祭り
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2012年12月14日

若者よ、投票所で会おう☆

vote7.jpg
(↑あきらめちゃダメの絵。)


16日に選挙あるけど、若い人が投票に行かないかもしれない、ともっぱらの噂だ。

理由は、「政治家はいくらキレイな公約を言っていても、結局守らないから」だという。つまり絶望感、もしくは諦念。


参照↓
堤未果 x 森川友義 「有権者は政治にどう関わるべきか?」2012.12.12 - YouTube

まぁそうだ。
けど、公約でキレイな事のひとつも言わなかったら、それは余計に何もしない政党だ。

若者が選挙に行かないかもしれない理由は、他にも思いつく。
人はこの世に生まれ、いろいろな教育を受け、20才になると教育の結果や本人の意志とは無関係に選挙権を与えられる。現行の社会制度でそう決まっているからだ。
けれど、人の成長の度合いはさまざまだ。この世に生まれた事も自分の意志ではないのだが、20才になって選挙権をもらうのも自分の意志ではない。「与えられた」権利の意味が解っていない。
現在一番政治に関心があると言われる世代の40〜50代だって、最初から政治に関心があった人ばかりでは無いだろう。彼、彼女らの大半は、最初は興味がなかった。が、日々の生活体験、職業体験を重ねるにつれ(それは同時に税金を払い続けた人生でもある)、もろもろの疑問や怒りがわいてくるようになり、政治の意味に気付いて、投票行動に結びつけるようになっていく。

それはそれで良い。が、そうなるまでに短くても数年から10年くらいかかることになり、それでは有権者としていかにももったいない。最初から、選挙や政治について基本的な知識と意識を持っていた方が、望ましくはないだろうか?


ところが現在の学校教育にそのような有意義な時間が組まれているとは考えにくい。という以前に、選挙の意味を教えることに消極的な気がする。

どうして選挙があるのか?
違う考えの人間がいるからだ。
みな一様な価値観、一様な考えならば選挙をする必要は無い。

どうして違うのか。
人と人はどうして違うのか、同じモノを見たり聞いてもどうして違う考え方や感じ方をするのか。
違うことは良いことなのか、悪いことなのか。

明確な根拠を挙げることは今わたしには出来ないが、勘でいうと、現段階の学校教育では人と人が違うことがさほど肯定的に捉えられていないのではないか? 
そうなると、選挙や政治について肯定的に教えることもできないのではないか。


若者は、選挙権を得た今になっても、まだその影響下にあるのではないか…

そんなこんなで、やはり若者には投票してほしいとわたしは切実に思った。ちなみに上記YouTubeには一票を投じる相手の選び方のコツなども紹介されていて、若者ではないわたしも感心した。


この下、投票行ってくれーー!!というsukimaの熱い思いがほとばしった画像群。
題して「投票所へのいざない☆レッツ・ボート」だ。

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↑これは上記YouTubeで言っていた。「自分は政治のことわからないから(だから誰に投票していいのかわからない)」と考えずに、今自分がもっている知識で判断してOK。意外とわかっているものだからとのこと。

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…絶句するね、無礼なやつだなーー

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これ、ほんとに選挙違反らしくて、この時期どこそこへ投票してねと呼びかけてはいけないらしい。

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選挙権なさげな服着てる(^o^)

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↑要はこれ。ユーアーパワー!!


タグ:衆議院選挙
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2012年11月23日

time stamp

今深夜勤務中なんだけど、同僚のTがニュースを教えてくれた。

愛知県豊橋市の信用金庫に5人を人質に男がたてこもっている。人質のうち4人は信用金庫の職員、ひとりは金庫の客。男は刃渡り10センチほどのサバイバルナイフを持っている。事件は本日14時頃に発生。金の要求などはせず、「民主党、野田内閣」の総辞職を要求している。


以上、マスコミ嫌いで大新聞を購読せず、家に帰っても大テレビを付けない人のために情報提供してみた。

もっともTもテレビから情報を仕入れているわけだから、結局はテレビ情報ではあるのだけど。


ちなみにTのコメントとしては、「そういうしっかりした考えがあるなら、たてこもりをやるのは違うんじゃないの。そういうやり方で主張するのは間違っている」


確かに。

posted by sukima at 02:57 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 現代社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月03日

「『認知症の人を地域で』 厚労省が本腰」ってそれはいいけど、そういう極めて個別的な事、今の中央集権体制でどこまでやれるンだろう?

今日のソース(特濃)一覧
  1. 「認知症の人を地域で」 厚労省が本腰 精神科病院の抵抗  WEDGE Infinity(ウェッジ)(2012年07月24日)
  2. 今後の認知症施策の方向について(2012年6月18日)厚労省pdf
  3. 厚労省の認知症報告書「一方的な官僚主導」 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年08月08日)
  4. 新たな認知症施策をまとめた報告書を公表- 在宅支援チーム創設を提言・厚労省 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年06月19日)
  5. 認知症医療「どこが不適切か理解できない」- 日精協が厚労省報告書に反論 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年7月26日)
  6. BPSDの激しい認知症の方の移送と入院 - リカバリー志向でいこう !
  7. イギリスの地方分権−その誤解と現状 - Westminster日記
  8. 各国の地方自治シリーズ - CLAIR 財団法人自治体国際化協会
  9. 英国の地方自治
  10. 隔離医療に問題 八尋弁護士
  11. NPO法人 認知症ケア研究所

 

ソース印ソース1「認知症の人を地域で」 厚労省が本腰 精神科病院の抵抗  WEDGE Infinity(ウェッジ)は、とあるツイッターを見ていて知ったもの。

これ読んで思ったのは、せいしん科って、ほんとーーに悪口ばっかり言われるなぁってことで。

ウェッジって聞いたことない出版社だけど、知りもしないのによくこれだけボロクソに言うと思う。

もう腹たって腹たってしょうがなかった。

かくいう当方も10年せいしん科で働いている。

っていっても准看だからね…

さして怒る資格もないわけだけど…

だからスルーしようかとも思ったけど…

真面目にやってる看護師とか医師とか、頭に来ないのかね?

その点も気になって、他の人が何を言っているか調べてたら、きりもなくソースが増えてしまって、どんどん濃厚な味わいへと…

そりゃせいしんに暗い歴史、及び現在の問題点があるのは確かで、わたしも何冊か関連書籍(ルポ本や精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本など)を読んだことがある。

それにまた、地方によっても違いがあって、わたしがせいしんで働き出した10年前に聞いた話だから今は違うかもしれないけど、「自分の田舎のせいしん科では患者を外に出す、ということはない。まず家族が嫌がって人に見せたがらない。だからこっちのようにレクで外出ということはない」

と言っていた。

その人は東北の人で、「できれば田舎のせいしん科では働きたくない」と言いながらも、親の面倒を見なくてはならず、しばらくして職場から去って行った。

帰って田舎のせいしん科で働くことにしたのかどうかは不明だけど、もしもそうなら、少しでも開かれたせいしん科にしたいというココロザシでいたろうとは、思う。

ソース1の最後に「多すぎる日本の精神科病床数」として、「日本の精神科病院の病床数は世界的にみて圧倒的に多い」旨が書いてあり、「日本には明治以来、私宅監置という制度があった」云々と書いてある。

この事は事実。ベッド数が多すぎる件は昔から言われていて、わたしも職場のせいしん科の講義で数回聞いた。ただ、なぜこんなに多いのか、という点はよく分からなかった。

ベッド数を減らすのは賛成だし、実際に訪問看護やデイケア、ナイトケアを利用することで実現している。
以前なら入院していた人が、実は身体は健康、自分のことは自分でできるのだから当然だ。(多少そのやり方が風変わりに見えたり、おぼつかなく見えたとしても)

地方はどうかよく分からないが、都市部はどんどんそっちへ移行しているし、これからは更にそうなるだろう。

もしも進んでいないとすれば、その地域に必要なことは…
地域の人は、人の多様なあり方を認め、規格化されたモノカルチャーな性格だけしか認めないような考えをあらためる。そのために地域は、さまざまな催しや活動を行い、さまざまな条件下で生きる人への理解を促す。それにより、誰もが認知症などで自分も同じような事態になる可能性を受け入れるようになり、一方的な理解や寛容ではなく、お互い、という観点から複合的な視野を得、それがまた思考に柔軟さをもたらしひいては自分の人生を豊かにする。地域全体として言えば、皆が広い心を持って余裕をもって生きられ、人間同士のつながり及び土台となる環境をともに作るようになる。

つまり、皆の問題だ。

せいしん科だけを悪者にしたところで、どうなるっていうんだろう?

せいしん科病院が患者さんをかき集めて無理矢理入院させてるってんなら兎も角、そんな事するわけがない。退院にしてもほとんどの人がいつでも退院できる「任意入院」のはずだ。

そりゃ元のベッド数が多いから人が入ってしまう、という側面もあり、ベッドがないなら入院しようもないから、せいしん科がぜんぜん悪くない、とはいわない。また、非常によくネットで見かける批判として薬の不適切な処方によるせいしん症状の悪化、などによる入院もあるかもしれない。が、あいにくとわたしは医師ではないのでその件についてよく分からないし、コメントする能力はない。ただ自分の周囲ではそういう印象は受けないので不思議には思っているけれども、そうは言ってもどの医師も最初から素晴らしい処方をするわけではないし、まして新薬がどんどん出る昨今の状況は、せいしん科病棟の風景を一変させた。(ここらへんは良い面もあるし、混乱の面もあると思う)

おもに社会(や家族)の無理解や受け皿不足が入院を続けさせているわけで、筋違いの攻撃もはなはだしくないだろうか?

ソース1をさらに見ていこう。あまりにも理解のない事が書いてあるからだ。
「本人の同意がなくても、保護者の同意で入院させることができる医療保護入院制度を創設したことだ。」と、あたかも悪いことであるかのような文脈で書いてある。

ちょっと待ってほしい。「本人の同意」と、伝家の宝刀のごとく「本人」「本人」言うが、その本人にまっとうな判断能力がない場合はどうするのだろう?
本人が自分で判断できるのなら、その通りすればよい(←ウェッジ及びウェッジが参照しているソース=10番は、これを至上のものとしている)。しかし実際は、本人は自分で判断できているつもりで、まったく出来ていないのだ。もしも本人の入院したくないという判断を尊重してその通りにしたら、その足で速効車に飛び込むかビルから飛び降りるか、あるいは他害行為に及ぶだろうと予測される場合、いったいどうしろと言うのだろうか?

そのまま死んじまえ、とか、やっちまえ、とでも言うのだろうか?

「本人」をあまりに重視するあまり、この件が軽視されすぎていないだろうか?

このように、本人でありながら本人であることを失う事態は、せいしん科ではまったく珍しくない。
というか、本人でありながら本人であることを失ってしまうのは、せいしん科ばかりではなく、ごくふつうに起きる。
少し前も「電車に乗っていて、突然自分が誰なのか、なぜここにいるのか分からなくなった」と、極度の不安及び混乱で入院してきた若い男性がいる。入院してきたといっても、そんなのは病気でもなんでもない。本来は誰にでもあることだ(と思う)。ことに10代後半から20代前半には通過して当然の道だ。ところが、人間の精神の可動域(というか可能性というか、うまい言葉がみつからないが)の広さを認めれない規格化された社会だと、そういう不安や混乱は異常事態になってしまう。
不安や混乱とは少し違うが、そんな社会だから、ちょっと暗い人間や無口な態度や内向的な人は、極端に生きづらい世の中になっている。というか生きづらいを通り越して「ウツ病」扱いになって(本人も明るく振る舞えないのだからウツという気になって)病院にかかる。
(ちなみにその男性は一泊もしないくらいで退院していった)

わたしがいる所はあくまで病棟であり、外来ではないので相当憶測混じりだし、個別的に考えないといけないわけだけど。
(外来に来る人の本来の足場は、最大のストレス源である職場、家庭、学校であり、そこからとりあえず解放されている入院者とは違ってくる)
話しが際限なくなるので「認知症」に向けたい。
認知症もまた似ている。
ソース1の冒頭にこうある。
「厚生労働省が画期的な報告書を出した。『認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会』の実現を目指す、とある」。
ウェッジは手放しで厚労省を礼賛しているが、認知症で、話しの多くは通じなくなっているのに、本人の意思など、どう尊重するというのだろう?
「本人」がちゃんとしているのなら、誰も認知症なんて呼ばない。

ウェッジが「画期的」と絶賛する厚労省の方針(ソース2)を読めば分かるが、厚労省が尊重したいのは本人の意思ではなく、あくまでも厚労省の意思だ。厚労省は、本人の意思を「住み慣れた地域に住み続けること、住み慣れた家で暮らすこと」と決めてかかっている。もしも本人が、家から離れ施設に住みたいとか、せいしん科でもいいから病院に入院したいと意思したらどうするのだろう?

細かいことを言うようだが、「本人」「本人」と言ってさえいれば文句ないだろという態度が気持ち悪い。

 

ソース印ソース2今後の認知症施策の方向について
さっきから話しに出ている、今年6月18日付けで厚労省が出したやつ。

これに対して人がどう言っているかをみつけるのは難しかった。仕方ないので2ちゃんねるの板で調べたところ、認知症関連のスレッドは乱立していたが、該当するものは少なかった。というか、板は殺気立っていて(2ちゃんの場合たいがいそうだが)、認知症を看る家族の苦労が忍ばれた、というか壮絶と言っていいほどだった。

2ちゃん以外では、ソース6番をみつけた。長野県でせいしん科系訪問看護など地域医療に取り組んでいる方と見受けられた。言うなれば、厚労省の言っていることを先がけてやっている方だ。この方は軽く言及し「よくできている」と一言漏らしていた。

ソース11番は、職場で認知症勉強会をした時の先生が主宰するNPO法人。もう3、4年たつがわたしはその時の小冊子を今も持っている。認知症の症状や特徴や分類など分かりやすく書いてあり、なおかつとても温かい内容だ。「何もできない、気難しいおばあさんとしてではなく、『私』を見てよ、看護婦さん」という言葉で締めくくっている。

これは何を意味するかというと、認知症という属性を離れ、その人自身を見る、その人自身と関わる必要性を説いている。認知症というと(認知症に限らず他の「病名」全部そうだが)、どうしてもその病名で判断してしまう。けれど、実際はその病名以前に、その人固有の性格とか人生とか価値観というものがあり、その人自身がいる。そこを第一に見る大事さ、ということ。

その先生も、厚労省の方針についてブログでサラっと触れてはいても、詳しい感想などはない。
まあ、言われなくてもとっくの昔から、目も耳も心も総動員でご本人の意思をくみとりながらやっているのだから、厚労省の指針は興味のわく内容ではないのだろうと、わたしは推測した。

 

「今後の認知症施策の方向についてby厚労省」を読んでの感想
  • 認知症の人の人数をどれくらいと認識しているのか。それは前期高齢者、後期高齢者のそれぞれ何割なのか
  • それの、少なくとも向こう20年間くらいの推移推定
  • 地域差というのものを、どう捉えているのか。都市部と地方では、考え方に相当に違いがあるような気がするが…
  • 認知症の原因をどう捉えているのか。認知症の原因の特定には力を注がないのか
  • 『「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」の実現を目指す』と、数回にわたって強調されているが、本人が「住み慣れた地域を離れても施設で暮らしたい」あるいは「せいしん科でもいいから病院に入院したい」と意思した場合はどうするのか?
  • 家族がおらず、なおかつ「かかりつけ医」がない場合どうするのか? 認知症の早期発見はできそうもないが
  • 認知症初期集中支援チームによる初回アセスメント訪問というのは、どうやるのか? やはり家にあがってやるのか? その対象となるのは、一律65歳以上なのか? 本人がイヤだと言ったらどうするのか?
  • その後も定期的に認知症になっていないか確認に来るのか? 「今日は何月何日ですか?」としょっちゅう聞きに来るのか? 「ふざけんな」と怒りだしたらどうするのか?
  • そもそも、人員確保をどうするのか? 給料はちゃんと出せるのか? 休暇もちゃんと出せるのか? 働く介護者のモチベーションはどう保つのか?
  • 厚労省としては認知症の人にどこまでも家に留まってもらって、半分は家族がみる前提でいるようだが、多くの地方では都市部に家族が出て行っている。家族を戻す意味でも、地方に権限委譲し活性化する必要があるように思うが、どうなのか?
  • 市町村単位の取り組みの必要性を言っているが、市町村単位にどれくらい裁量権があるのか?
  • これら施策によって官僚に与えられる利益、権限、天下り先、箱物は、どれくらいあるのか?
  • 認知症の人に対する介護の質を、トップダウン方式で保てると思うか? 現場で起きる多種多様な出来事はケアパスにないことばかりだと思うが?
  • 市町村単位なり、もっと小さいユニットなりで、話し合い、独自に解決策を見いだす方が、意義があり、生きている実感のある仕事方法だと思うがどうか? そういう意味では働くサイド(介護者等)もまた認知症/高齢者候補であると考えれば、より充実感のある方法で仕事をした方が「予防」になると思うがどうか?

 


 

■ウェッジの記事、「夫を入院させて後悔している女性」の話しは真実だと思うけど、悪いせいしん科病院の一方で、女性の助けになった「いざと言う時は、救急隊にその病院の名前を言えば、必ず受け入れてくれる 訪問診療を手がける病院」もせいしん科病院なんじゃないのかなあ? 認知症の訪問診療というのだから。そういうのもハッキリ情報提供してほしい。

■ソースの345は参考までに挙げてみた。

■789は海外の自治。それも特に厚労省が手本としてあげるイギリスだ。イギリスでも大きなせいしん科病院は閉じているのがaizy.net/20e2012.htmを読むとわかる。

■軽度のうちは「本人」の判断力はあると思いますが

■「地域でみる」とは、地域「が」見る、というのとは違いそうだ。

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