2012年09月29日

間違って見ちゃった「テレビタックル」雑感

3時間SPと称してやっていたのを、途中だけ見た。もう、ゾッとした。で、今ツイッターで「テレビタックル」で検索したら、他の人も似た感想を持っていて、ちょっと嬉しくなった。

一緒に見ていた娘にも言ったんだけど、こういうのを見ることで、政治に関心を持った気になるのは間違い。今までがそうだったのだとしたら、今までが間違っていた。これで「ガス抜き」されてしまっては(されたとして、だけど)、とてもじゃないが向かうべき「自治」には、その足下まですらたどり着けない。こういう番組はアホ同士が小競り合いをすることで視聴率を上げているだけのパフォーマンス。北野武だって映画制作費を稼ぐ目的で出ているだけ。

そこらの認識だけは持っていた方が良い。皆、金のためなんだよ。単純にそれだけのこと。

にしても、宮崎哲弥氏は、どうして「国を守るんだ」とさかんに言うのだろう?
どうしてそういう事を安易に言えるのだろう?
国を守るって言うのは、個人レベルで勝手に出来ることではなく、国家-軍事の指揮命令系統で行われること。
それが、この前の太平洋戦争の時なんか、適地に向かって戦闘機でつっこむなどという、無謀な特攻作戦ばかりさせていた。
そんなクソ作戦しか思いつかない指揮命令系統しかない日本で、どうしてそういう事が安易に言えるんだろうか?
ホントに、いい加減にして欲しい。
だいたい中国とか韓国とかって、日本にどういう悪いことしたの? 日本人を何人殺したの?
アメリカなんか、とてつない数の日本人を殺している。
そのアメリカには従属なのだから、日本人をたくさん殺してくれてありがとうとでも思っているのだろうか?
今現在でも、その頃と日本の指揮命令を下す連中のメンタリティーはさして違っていないと思う。
そこが直りもしないうちに、「国を守る」とか、安易に言わないでほしい。



posted by sukima at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

避難範囲について

■3月24日(木)

帰宅して様子を家人に聞くと、あれほど「命をかければ守れる」という信仰が強かったくせに、青ざめた調子になっている。理由は色々あるようだが、ソフトバンクの社長の行動とツイッターに特に影響されたようだ。ソフバン社長は22日、相馬市まで赴き、よほど危機感を感じたのだろう、「逃げろ」とツイートしたそうだ(伝聞なので違っているかも。今見ると、もっと冷静にツイートしている)。

先ほど(AM11:30頃)、枝野官房長官の会見があったので見たが、誰も避難範囲を広げた方がいいのではないか、と問い質していなかった。

その一方、米軍や外国大使館は自国民に対し、最低でも80キロ範囲、大きければ日本そのものから、そうではない場合は、東京以南への待避を命じているようだった。

日本と海外のこの想定の落差は何だろう? ことによれば海外の人は、こういう事態に際して、命を賭けてまで事故原発で働く人間がまさかいるとは、想定していないのかもしれない。
そして日本政府は、「日本にはいるんだ」と威張りたいのかもしれない。

が、仮にそうだとしても、いつまで彼らのがんばりが持つのか?
いったい、どれくらいの人数が、どれくらい危険な作業をしているのか、会見で聞かれないので、まるで分らない(全会見を見ているわけではないが)。彼らの命を守る義務は政府にはないのか? 作業をしているのは自衛隊員なのだろうか。それならば仕方ないのだろうか。まったく、分らない。彼らの命のことも考えてほしいと願う。

もちろん、彼らのがんばりが実って、一刻も早く事態が安定、収束してほしい。
心底そう思う。

その一方で、少なくとも80キロ範囲の人々に対して避難命令を出すことはできないのか。
とても見やすい80キロ範囲画像
その元記事

あとになって「あんなに心配して避難しなくても良かったね」と笑える日が来ないとも、まだまだ限らない。

今すぐ健康被害がなくても、この先、倦怠感や頭痛に悩まされることになるかもしれず、それだけでもたいへんな損失だ。「健康で文化的な最低限の生活をいとなむ権利」は、憲法で決めてあるものであり、政府に強い責任がある。

強い号令をかけられるのは、政府しかないのだ。

----

附:マピオンが携帯電話から分る、「福島第一原発からの距離」(=GPSで現在地を取得するもの)

追記:当方、情報収集できる時にしかしていないので、会見で答えているかもしれません。なのでその点は了承ください・・・・



posted by sukima at 15:45 | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

『もうひとつの核なき世界』 感想その2・今さらながら「ノーベル平和賞の受賞演説」(by Obama)を読んでみた

昨年の終り、ジャーナリスト堤未果氏の『もうひとつの核なき世界』について触れた。
そしてその後改めて、Obamaの核廃絶へ向けた演説とノーベル平和賞の受賞演説を見てみることにした。
実のところ、「核廃絶に向かっているならいいよね」という程度で、どちらの演説もわたしはあまり本気では興味がなく(おい)、見ていなかったためである。

今回も、見たところでたいした意見が浮かんで来なかったのであるが、ひとつ気づいたのは、「核兵器」について語る時は、人類滅亡ボタンを握っている高揚感がそうさせるのか、どんどんテンションが上がり、話が壮大になり、聴衆を酔わせる特徴があることだ。

この高揚感に騙されてはいけないと思った。
堤氏が言う通り、こういう壮大さのトリックに目くらましされて、地道に解決しなければならない、現に起きている「被爆者」の問題が、スルーされてしまうからだ。

さらにまた、噂では知っていた「ノーベル平和賞の受賞演説」の戦争擁護であるが、読んでみて、たいしたことないなと思った。確かに戦争は必要との見解をクドクド言っているが、あまり説得力がある感じがなく、どっちかというと、単にアメリカを礼賛したいだけという印象。

オバマ米大統領が12月10日オスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説全文は以下の通り(日本語訳)
英文はこちら

演説内容思ったこと
[1]  陛下、殿下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、米国と世界の皆さん。

 私はこの栄誉を、深い感謝とともに謹んでお受けする。この賞はわれわれの大いなる志―この世が残酷さと困難に満ちていても、われわれは単なる運命の囚人ではない、ということを物語る。われわれの行動は重要であり、歴史を正義の方向に向けることができる。

 (私にノーベル平和賞を授与するという)あなた方の寛大な判断が巻き起こした、大変な論争を見過ごすわけにはいかない。私が世界の舞台で仕事を終えたわけではなく、緒に就いたばかりであることも、その理由だろう。この賞を受けた歴史上の巨人たち―シュバイツァー(医師)や、キング(牧師)、マーシャル(元米国務長官)、そしてマンデラ(元南アフリカ大統領)―らと比べれば、私が成し遂げたことはわずかだ。そして世界には、正義を追い求めて投獄され、暴行を受けている男女が存在する。

 人々の苦痛を取り除くため人道団体で尽力している方々。勇気ある思いやりに満ちた行動で、最も冷笑的な相手をも鼓舞する何百万人もの名もなき人々。これらのあるいは著名な、あるいはほとんど無名の男女の方が、私よりもよほどこの栄誉にふさわしいという指摘に反論することはできない。
ここらへんまず けんそん
[2]  私の受賞をめぐる最大の問題は、私が二つの戦争の最中にある国の軍最高司令官だという事実だろう。戦争の一つは終わりに近づいている。もう一つは米国が求めなかった戦争、さらなる攻撃から私たちとすべての国々を守るために、われわれがノルウェーを含む42カ国とともに戦う戦争だ。

 われわれは今でも戦争を遂行中だ。私は米国の数多くの若者を遠い地の戦闘に送り込むことに責任を負う立場にある。そのうち何人かは誰かを殺し、何人かは命を落とすだろう。私は、武力紛争による犠牲について鋭敏な感覚を持ってここに来た。戦争と平和の関係と、戦争を平和に置き換える努力についての難問を抱えている。

 これらの課題は新しいものではない。戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった。その道義性が疑われたことはなかった。部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった。

 時を経て、集団間の暴力を規制する手段として法律が登場すると、哲学者、聖職者、政治家が戦争の破壊的な力を制御しようとし、そこで「大義のある戦争」という概念が登場した。それは、戦争は自己防衛の最終手段として、適正な武力により、可能な限り非戦闘員は犠牲にしないという条件に合致する場合のみ正当化されるというものであった。
自分がふたつの戦争遂行中である状況を肯定
肯定する理由は、
1「戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった」
2「その道義性が疑われたことはなかった」

戦争は「部族間の、そして文明間の力の追求と相違の解決手段として、干ばつや疫病のように現実にあるものだった」との認識
さらに、戦争の歴史。大義ある戦争という概念の登場について

「私は米国の数多くの若者を遠い地の戦闘に送り込むことに責任を負う立場にある」
[3] 歴史上、「大義のある戦争」という概念はほとんど実現していない。人類が殺し合う方法を新たに考え出す能力を無尽蔵に有することは証明済みだ。そして外見の違う人々、異なった神を信仰する人々に対し無慈悲にその能力を行使した。

 軍隊間の戦争は国家間の戦争へと発展、全面戦争では、戦闘員と一般市民の区別が不鮮明なものになった。わずか30年の間にそのような殺りくが2度この大陸で行われた。第2次世界大戦は、第三帝国(ナチス・ドイツ)と枢軸国を打ち負かすというこの上ない大義があった。しかしこの戦争では、非戦闘員の死者数が兵士の死者数を上回ったのだ。

 このような破壊を受け、さらに核兵器時代の到来もあり、勝者にとっても敗者にとっても、あらたな世界戦争を予防する仕組みが必要なことが明確になった。だからこそ、ノーベル平和賞を受賞したウッドロー・ウィルソン元大統領が提唱した国際連盟を米上院が拒否してから四半世紀、米国は平和を守る構想を打ち立てる上で世界を主導した。マーシャルプラン、国際連合、戦争抑止メカニズム、人権擁護の条約、虐殺の予防、最も危険な武器の規制がそれだ。

オバマさんの戦争観とアメリカ礼賛。礼賛内容は以下
1「米国は平和を守る構想を打ち立てる上で世界を主導した」
2具体的には「マーシャルプラン、国際連合、戦争抑止メカニズム、人権擁護の条約、虐殺の予防、最も危険な武器の規制」
[4] さまざまな方法で、こうした努力は成功を収めてきた。もちろん、恐るべき戦争は発生し、残虐行為も起きてきた。しかし、第3次大戦は発生していない。冷戦は、歓喜に沸く群衆が壁を破壊することで終結した。商業は世界の大部分をつなぎ合わせてきた。数十億人が貧困から脱した。自由、民族自決、平等、法の支配といった理想は、もたもたしながらも前進してきた。われわれは先人たちの不屈の精神と先見の明の継承者であり、これは米国が真に誇れる遺産である。

 21世紀に入り10年、古い構造は、新しい脅威により崩れつつある。世界はもはや二大核超大国間の戦争の脅威におびえることはないだろうが、核拡散は破滅への危険を増しているだろう。テロは古くから存在する戦術だが、現代のテクノロジーによって、激しい憎悪を抱く少数の人間が罪のない人々を大量に殺すことが可能になった。

 さらに、国家間の戦争は、次第に国内での戦争に取って代わられつつある。民族間や宗派間の衝突の激化、分離運動の増加、反政府勢力、破綻(はたん)国家は市民を終わりの見えない混沌(こんとん)に陥れている。現代の戦争では、兵士よりも市民により多くの犠牲が出ている。将来の衝突の種がつくられ、経済は破壊され、市民生活はずたずたにされ、難民は増え、子供に傷あとを残す。
ここもアメリカ礼賛(第三次世界大戦がまだ起きていないのも、アメリカのお陰、と言っている?)

二大大国による核戦争の恐怖の代わりに、核の拡散と、テロの恐怖の強調

さらに、最近になっては、
1民族間や宗派間の衝突の激化
2分離運動の増加
3反政府勢力
4破綻(はたん)国家は市民を終わりの見えない混沌(こんとん)に陥れる

現代の戦争の特徴
1兵士よりも市民に犠牲が多い
2将来の衝突の種がつくられ、経済は破壊され、市民生活はずたずたにされ、難民は増え、子供に傷あとを残す

「われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできない」との見解
[5] 私は今日、戦争をめぐる問題の絶対的な解決策を携えてはいない。私が認識していることは、こうした難題に立ち向かうには同じ考え方、懸命の作業、数十年前に大胆に行動した男性、女性を含むすべての人たちの粘り強さが求められる。さらに、大義ある戦争の概念と平和の必要性について新思考が求められるだろう。

 われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい真実を知ることから始めなければならない。国家が、単独または他国と協調した上で、武力行使が必要で道徳的にも正当化できると判断することがあるだろう。

 私はこの声明に、マーチン・ルーサー・キングが何年も前に、この同じ式典で述べた思いを込めたい。「暴力は決して永続的な平和をもたらさない。社会的な問題を何も解決せず、もっと複雑な問題を新たに作り出すだけである」。キングのライフワークを引き継ぎここに立つものとして、私は非暴力の道徳的な力を信じる証言者だ。ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っている。

 しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。

 私はこの点を提起したい。なぜなら今日、理由のいかんを問わず、多くの国で軍事力の行使に二つの相反する感情があるからだ。時として、そこには唯一の軍事超大国である米国への内省的な疑念が伴う。
そう思うなら、戦争以外の方法を考えるのかと思ったら、そうではなく仲間を募ってやっぱ戦う(新思考をもって)らしい

でありながら
「われわれが生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできない」と言い切っている。つまり、永遠に戦争をやるぞと決めている。これは、最後の方で言っている「全世界の希望であり」うんぬんという輝かしい演説を無化する。長々感動的にしゃべったあげくに、ゼロに回帰させる。言う順番が逆じゃなから、さほど怒りを買わないけど
[6] しかし、世界は思い出さなければならない。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではない。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ。われわれの男性、女性兵士らの献身と犠牲が、ドイツから韓国までに平和と繁栄をもたらし、バルカンに民主主義を打ち立てることを可能にしたのだ。われわれは自分たちの意思に従わせるために、この重荷を背負ったわけではない。自分たちの利益のために、そうしたのだ。子や孫たちのより良い未来のために、そうしたのだ。他の国の子供や孫たちが自由と繁栄の中で生きることができれば、彼らの生活もより良いものになると信じているのだ。

 そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、祖国や大義、共に戦う仲間への献身の現れでもある。しかし、戦争自体は決して輝かしいものではない。決してそんなふうに持ち上げてはならない。

 両立させるのは不可能に見える二つの事実に折り合いをつけさせることも、私たちの課題なのだ。戦争は時として必要であり、人間としての感情の発露でもある。具体的には、かつてケネディ元大統領が訴えた課題に向け、私たちは努力しなければならない。彼は「人類の本性を急に変化させるのではなく、人間のつくる制度を少しずつ発展させた上で、実際的かつ達成可能な平和を目指そう」と語った。
またまたアメリカ礼賛「国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ」
って本当なのか? わたしには知識不足で判定が付かない。

戦争を全面肯定するわけではないと言いつつ、やっぱ戦争は必要と。そこで持ってきたのが、アメリカのヒーローであるケネディの台詞「人間のつくる制度を少しずつ発展させた上で、実際的かつ達成可能な平和を目指そう」

ケネディはアメリカじゃ英雄だろうけど、世界にとってはそういう存在じゃないんだから、ちょっとどうなのかね
[7] この発展とはどんなものだろう。実際的なステップとは何だろう。

 まず初めに、戦力行使について規定する基準を、強くても弱くてもすべての国々が厳守しなければならないと考える。ほかの国々の元首と同じように、自国を守るために必要であれば、私には一方的に行動する権利がある。しかしながら、基準を厳守する国々は強くなり、守らない国々は孤立し弱くなると確信している。

 米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けている。無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからだ。同じように、(イラク大統領だった)サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟った。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなった。

 その上でだが、米国自身が規則を守らないのならば、他者に規則を守るよう迫ることはできない。規則を守らないのならば、いかに正当化しようとも、われわれの行動が独断的に映り、介入の正当性を損なうことになってしまうからだ。

 これは、軍事行動の目的が自衛の範囲を超え、一つの侵略者に対する一つの国の防衛という範囲を超える際、特に重要になる。われわれは、政府による自国市民の虐殺や、一つの地域全体を暴力と苦悩に巻き込みかねない内戦をどのように防ぐかという困難な問題に直面し、そうした機会は増え続けている。

 私は、バルカン諸国や、戦争に傷ついた他の地域でそうであったように、武力は人道的見地から正当化できると考えている。何もせずに手をこまねくことは良心の呵責(かしゃく)を生み、後により大きな犠牲を伴う介入が必要になる可能性がある。だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければならない。
「戦力行使について規定する基準を守れ」と他国へ要求。ここでも戦争の肯定
[8] 世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してない。ただ、脅威の拡散が進み、任務もより複雑化した世界では、米国は一国だけでは行動できない。この事実はアフガニスタンに当てはまる。テロや海賊行為に、飢えや人々の苦悩も結び付いたソマリアのような破綻(はたん)国家においてもそうだ。悲しむべき事だが、そのような状態は、不安定化している地域では、今後何年にもわたって変わることはない。

 北大西洋条約機構(NATO)諸国の指導者や兵士たち、そして他の友好、同盟国は、アフガンでその能力と勇気をもってこれが事実であることを示してくれた。

 しかし、多くの国で、任に当たる者たちの努力と、一般市民の抱く相反する感情との断絶がある。私は、なぜ戦争が好まれないのか理解している。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。そうだからこそ、NATOが不可欠であるのだ。そうだからこそ、われわれは国連と地域の平和維持を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。
ここでアメリカ礼賛色をいったん薄め、アメリカだけじゃやれませんからと、譲った態度を示してみたり
「われわれは国連と地域の平和維持を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。」の、いくつかの国ってなんだろ
[9] だからこそ、われわれは国外での平和維持活動と訓練から、オスロとローマ、オタワとシドニー、ダッカやキガリへ、故郷へと戻った者たちをたたえるのだ。戦争を引き起こす者としてではなく、平和を請け負う者たちとしてたたえるのだ。 

 武力行使について最後に言っておきたい。戦争を始めるという難しい決定を下すのと同じように、われわれはいかにして戦うのかについても明確な考えを持たねばならない。ノーベル賞委員会は最初の平和賞を赤十字の創設者であり、ジュネーブ条約の推進役だったアンリ・デュナンに授与したことで、このことの意義を認めたのだ。

 武力が必要なところでは、一定の交戦規定に縛られることに道徳的、戦略的な意味を見いだす。規定に従わない悪意ある敵に直面しようとも、戦争を行う中で米国は(規定を守る)主唱者でなければならないと信じている。これがわれわれが戦っている者たちと異なる点だ。われわれの強さの源泉なのだ。だから、私は拷問を禁止にした。グアンタナモの収容所を閉鎖するよう命じた。そして、このために米国がジュネーブ条約を順守するとの約束を再確認したのだ。われわれが戦ってまで守ろうとする、こうした理念で妥協してしまうと、自分自身を見失うことになる。平穏なときでなく困難なときこそ、ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう。

 われわれが戦争を行うことを選択するとき、心に重くのしかかる問題について私は言及してきた。しかし、そうした悲劇的な選択を避けるための努力についてもう一度立ち戻り、公正で永続的な平和を構築する上で必要な三つの方策を説明しよう。
今度は平和の話
あと、戦争中でも規約は守ろうと、ちょっとおとなしいトーンを出している
[10] まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際に、態度を改めさせるのに十分なほどに強い、暴力に代わる選択肢を持たなければならないと私は信じている。なぜなら、永続的な平和を望むなら、国際社会の言葉は何らかの意味を持たなければならないからだ。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。 さっきは、武力行使も仕方がないと言っていたが、今度は「態度を改めさせるのに十分なほどに強い、暴力に代わる選択肢を持たなければならない」と。
[11] 核兵器の拡散を阻止し、核兵器のない世界を追求する取り組みが急務だ。前世紀の中ごろ、各国は(核拡散防止)条約(NPT)に従うことで同意した。その取り決めは明確だ。すべての国が原子力を平和利用でき、核兵器を持たない国は所有を断念する。核兵器を持つ国は軍縮に向けてまい進する。私は積極的にこの条約を支持してきた。条約は私の外交政策の要だ。そして私はメドベージェフ大統領と一緒に、米国とロシアの核備蓄を減らす作業を行っている。

 また、イランや北朝鮮のような国が核不拡散体制を悪用しないよう主張することもわれわれの義務だ。国際法に敬意を払う者は、法がないがしろにされたら目を背けることはできない。自分の安全保障を心配する者は、中東や東アジアでの軍拡競争の危険性を無視することはできない。平和を追求する者は、核戦争のため各国が武装するのを何もせず傍観してはならないのだ。
自分のとこの核武装についてちょっと話した後、よその国の核武装非難、および、核武装してない国に対しては傍観するなとのお達し。
[12] 同様の原則は国際法に違反し、自国の人々をむごたらしく扱う国々にも適用される。ダルフール(スーダン)の大虐殺やコンゴ(旧ザイール)での組織的強姦(ごうかん)、ミャンマーの弾圧、これらは責任が問われなければならない。そう(国際社会の)関与はあるだろう。そう、外交努力があるだろう。だが、これらが失敗した場合には、(こうした国々の)責任が問われなければならない。われわれが結束すればするほど、武力介入するか(何もせず)抑圧の共謀者となるか、われわれは選択を迫られなくなるであろう。

 これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。
これら他国の国内における許されざる組織的残虐行為に対して、
1武力介入
2何もせず抑圧の共謀者になる
選択肢はふたつにひとつ。どちらかを選べと
[13] 第2次大戦後、世界人権宣言の起草者を後押ししたのはこの洞察だ。荒廃の最中、彼らは人権が守られなければ、平和は空虚な約束にすぎないと認識したのだ。

 しかし、こうした言葉が無視されることはあまりにも多い。人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もある。米国では長い間、自らを現実主義者と称する人と、理想主義者と称する人の間で緊張関係が続いてきた。狭量な利益の追求か、自らの価値観を押しつける果てしない運動か、明確な選択をするよう提案してきた。

 私は、こうした選択を拒む。市民が自由に話したり、好きなように礼拝したり、指導者を選んだり、何の恐れもなく集会を開いたりする権利を否定されるところでは、安定した平和は得られないと信じる。不平がたまって膿(うみ)になり、部族や宗教のアイデンティティーに対する抑圧は、暴力につながり得る。われわれは、その反対も真実だと知っている。欧州が自由になった時、やっと平和が訪れた。米国は民主主義に対する戦争はしていない。われわれの最大の親友は、市民の権利を守る政府だ。どんなに冷ややかな見方をしても、人類の思いを否定することは、米国の利益にも、世界の利益にもならない。
平和の定義
戦争・紛争がない状態ではなく、人権と尊厳が守られていること
というか「民主主義であること」が条件
アメリカは、「民主主義国」に対しては戦争しない、だけど民主主義じゃない国には戦争します

と、言っている様子
[14] 米国はさまざまな国の独特の文化や伝統に敬意を払いながらも、常に人類共通の思いの代弁者になる。(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーさんのような改革者の静かなる威厳の証人となる。暴力にさらされながらも票を投じる勇敢なジンバブエ人や、イランの通りを静かに(デモ)行進した数十万の人々の証人となる。このことは、これらの政府の指導者は、ほかの国家の力よりも、国民の思いを恐れているということを物語っている。希望と歴史はこうした運動の味方になるとはっきりと示すことが、すべての自由な人々と自由な国家の責任だ。

 これも言わせてほしい。人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できない。時には、労を惜しまない外交と連携させなければならない。抑圧的な政権に関与すると、義憤を持った純粋なままの状態でいられなくなることは分かる。しかし、相手に手を差し伸べずに制裁を科したり、議論の余地なく非難するだけでは、現状は悪いまま進む可能性があることも分かる。抑圧的な政権は、開かれた扉という選択肢がなければ、新たな道を進めない。

 文化大革命のおぞましさを考えれば、ニクソン(元米大統領)が毛沢東(中国主席)と会談したことは許し難いと思われた。だが中国が多くの市民を貧困から解放し、開かれた社会とのつながりを持つ道筋をとる助けとなったことも確かだ。

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のポーランドとのかかわりは、カトリック教会だけでなく、ワレサ(元大統領)のような労働運動の指導者にも活動の場をつくった。レーガン(元米大統領)が軍縮に向けて努力し(ソ連の)ペレストロイカを受け入れたことは、ソ連との関係を改善しただけでなく、東欧全体の反体制派に力を与えた。
「人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できない」と またまた武力の肯定かと思わせたが、ここは「外交」の重要性を言ってみた。
[15] 単純な公式はない。孤立させることと関与すること、圧力をかけることと励ますこと、両者の間のバランスを取るよう、最善を尽くさなければならない。そのようにして人権と尊厳は徐々に向上するのだ。

 第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。

 これは疑いようがないが、安全がなければ発展が根付くことはほとんどない。また、生きるのに必要な十分な食料やきれいな水、薬や住居が手に入らなければ安全は保障されないのも真実だ。きちんとした教育を受けたり、家族を支える仕事を得たりするという子供たちの望みがかなえられないところに安全はない。希望がなければ、社会は内側から腐りかねない。

 それゆえ、人々に食料をもたらす農家や、子供たちを教育したり病人を世話したりする国々を支援することは、単なる慈善事業ではない。このことはまた世界が団結して気候変動に立ち向かわなければならない理由でもある。もしわれわれが何もしなければ、長年にわたる紛争の原因となる干ばつや飢餓、人々の大量移動をさらに引き起こすことになるというのは科学的にほとんど争いのない事実だ。
[12]あたりから続いた話のまとめ。人権を中心とした平和を守るための戦いは、外交、武力の組み合わせで単純ではない。そればかりでなく、人権が守られたとしても、次に、貧困だったらやっぱ「平和」とは言えないと。
[16] このため、即座に力強い行動をとることを求めているのは科学者や環境活動家だけではない。わが国や他の国の軍幹部らも共通の安全保障が不安定な状態にあるということを理解している。

 国家間の合意。強力な制度。人権の保護。開発への投資。これらすべてが、ケネディ大統領が言及した進化をもたらすのに極めて重要な要素だ。しかし、われわれがこの作業を完遂するための意志、持続力を持つためには、何かが足りない。それは、道徳的想像力の継続的拡大、すなわち、全人類が共有し、減ずることができない何かがあるという強い主張だ。
「全人類が共有し、減ずることのできない何かがあるという強い主張」

って、なんのことだろ?
[17] 世界がだんだん小さくなるにつれて、われわれがいかに似通っているかを認識し、基本的に同じものを望んでいると理解し、自分自身や家族がある程度の幸福感や充足感を持って人生を全うする機会を望んでいると理解することは、人類にとってだんだん容易になるだろうと、皆さんは思うかもしれない。

 しかし、それでも、目まいがするほどのスピードでのグローバル化、現代の文化的平準化の中でも、人々が、とても大事にしている自分ら特有のアイデンティティー、すなわち人種、部族、そして恐らく最も力強いものであろう宗教といったものの喪失を恐れることは、驚くに値しない。

 いくつかの場所では、この恐怖が紛争に発展した。時には、自分たちは逆行しているのではないかと感じることもある。こうした状況は、中東でアラブ人とユダヤ人が強硬になったように見える時や、部族同士が離反した国家においてみられる。

 最も危険なのは、偉大な宗教であるイスラム教を歪曲(わいきょく)し、汚し、アフガニスタンからわが国を攻撃した者によって、宗教が罪なき者の殺害を正当化するために利用されるそのやり方だ。これらの過激主義者は、神の名において殺人を犯した最初の人間ではない。十字軍による残虐行為は詳細に記録されている。

 しかし、こうした者たちは、われわれに、いかなる聖戦も正しい戦争とはなり得ないことを思い出させる。もし、心から神聖な意志を実行していると信じるなら、抑制する必要などないだろう。妊娠している母親や医療関係者、赤十字職員、さらに自らと同じ信仰を持つ人の命を容赦する理由などないはずだ。

 そうしたねじ曲がった宗教の考え方は、平和の概念と両立しないだけでなく、信仰の目的とも矛盾する。なぜなら、すべての主要な宗教の中心にあるただ一つのルールは、自分たちにしてほしいと思うことを他人にも行う、ということだからだ。

 こうした慈愛の法則に従うことは、常に人間としての努力やあがきの核心を占めてきた。われわれは誤りに陥りがちであり、間違いも犯す。自尊心や権力、そして時には悪がもたらす誘惑の犠牲ともなる。どんなに素晴らしい意図を抱いていても、時に自分たちの誤りを直すことに失敗することがある。

 しかし人類の状態を完成させることが可能であると、信じるためにも、人間性が完全であると考える必要はない。また世界をより良くする理想に近づくために、理想化された世界に住む必要はない。(インド独立の父)ガンジーや(米公民権運動の黒人指導者)キング師らの人々が実践した非暴力主義は、いかなる場合でも現実的で可能性を秘めていたわけではない。しかし彼らが唱えた愛、そして人類の進歩にかけた彼らの信念は、どんな時もわれわれの旅を導く北極星でなければならない。
「アルカイダ」を非難している様子

あと、「すべての主要な宗教の中心にあるただ一つのルールは、自分たちにしてほしいと思うことを他人にも行う」との考えを開陳。「宗教の中心」を明言してくれると、わかりやすいのでここは○
[18] なぜならもしわれわれがその信念を失い、ばかばかしい、甘いと言って退けたり、戦争や平和に関する決定を下す際に無視したりするなら、人間性の最も優れた部分、可能性にかけたわれわれの思い、そして倫理的な指針を喪失することになってしまうだろう。

 キング師は何年も前にこの場で次のように語った。「私はあいまいな歴史への最終回答として絶望を受け入れることを拒否する。私はまた、人間が現在『そうである』性質が、永遠の課題である『そうであるべき』姿に近づくことを不可能にしているとの考えにはくみしない」
その信念(宗教の中心)を失ってはいけないと。
[19] だから、あるべき世界に到達するよう努力しよう。われわれの心の中をかき立てる神聖な輝きの世界へと。今日、世界のどこかには、戦闘で不利になりながらも毅然と平和を守る兵士がおり、残虐な政府に対し勇気をもって行進を続ける女性がおり、極貧にあえぎながらも子供に教える時間を取り、この残酷な世界でも子供の夢が実現する余地がどこかにあると信じる母親がいる。

 こうした手本を見ならおう。この世界に抑圧はいつも存在することを認めながらも正義に向かって進むこともできる。腐敗が手に負えないことを認めながらも尊厳を追求し、戦争がこれからもあると知りつつも、平和への努力を続けることができる。われわれにはそれが可能だ。なぜならそれこそが人間の進歩の物語であり、全世界の希望であり、この困難な時代にあってわれわれが地上で果たすべき仕事であるからだ。(共同)
音楽で言えば、最後にラッパが鳴ってドラムが激しく鳴ってシンバルがパンパンパンパンと打ち鳴らされてファンファーレ!! みたいなのを、ブラスバンドの代わりに演説でやれるこの人は、やっぱ凄いのかもしれない……。
流れとしては、「自分たちにしてほしいと思うことを他人にも行う」という信念に基づいたエンディングなので、整合性はとれているかと思う。というか、自分でも盛り上がれたのではなかろうか。
ただいくら正しくても、押しつけや強制や武力行使じゃあ、反発くうばかりで時間かかってしょうがない気がする。あと沖縄辺野古のように、そこの地域の動植物ふくむ環境を破壊してまでする価値のあることなのかどうか、他に方法はないのか、そこに住む人の人権を踏みにじっていいのか、Obamaの信念に反しているんじゃないか?

長かったため、時間がかかった。
訳文に問題があることもあるので当てにならないが、一応何を言ったのか自分なりに把握できた。
続いては「核廃絶」の方だけどあっちはもう無理。ただざっと読んだところ実に感動的だったので、もういいやと思う。

しかしなんだな。演説ブッテる場合じゃないというか。
演説で、少人数ならともかく、多数の人々を納得させるのってもはや無理なんじゃないのか。
それでも、演説には、何を考えているのか伝える効果はあるから、しないってわけにはいかない。
そこらへん、菅直人は何を言っても内容のない空無な人らしいが、そういうのばれるのも演説(的なるモノ)の効果だろう。

posted by sukima at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

もうひとつの核なき世界 / 堤未果

もうひとつの核なき世界著者の堤未果サン、ずっと前に『ニュースの深層』で誰かの隣りでサブキャスターをやっていたのは確かなのだけど、その誰かが誰だったか思い出せず、本当に最近は記憶力が鈍って、もっともそのお陰で厭な事もすぐに忘れるから助かるとはいえ不便ちゃ不便。その誰かが誰だったにせよ、職業柄当たり前とはいえペラペラとよく話す人だったから堤未果さんにあまり出番はなかった。堤未果さんは、そういう場所にいるには深く物事を考える聡明な人に見えた。だからといって、隣にいた誰か(男性だったのは確か)が聡明でないとかそういうことを言いたいわけではなく、第一ある程度は軽いノリの暴走脱線気味の出演者でなければテレビの間はもたないし、そうでなくても、人はただただ時間を埋めるためだけに、内容はともかくひたすらよく喋るものだ。元来無口なわたしですら、最近は側に人がいるとジュークボックスにコインが入ったかの如く、ろくに考えず口から音を発している。最初のうちこそ脅迫的に追い立てられてそうしていたのだけど、慣れれば割とそういう次元の住人になってしまうもので、それがあたり前のようになった側面もある。

この本は、わたしが持っていた著者のイメージが当たっていたことを証明した内容だった。のだけど、無論そんな事は本書にとってどうでもよい。本題の発端は、オバマ大統領が昨年9月に発した<「核なき世界」構想>で、そのわずか数週間後にオバマ大統領はこの一件でノーベル平和賞を受賞し、さらに一年後には「裏切り」の臨界前核実験をやってしまい… と、その都度当ブログも間抜けな感想をupしているので是非とも探さないでほしいけど、本書はわたしの感想を全面的に書き換えた。

この本は独り言にも近いような、こういうドキリとする語りで始まる。
「世界には、<絶対正義>に隠れてしまうあいまいさがある」
ここでいう絶対正義は、オバマの核廃絶に向けた演説の光輝くまぶしさで、本書はその影に隠れて見えなくなってしまった数々の現実に焦点を当てていく。その現実にはいくつかあって、最大のものは「劣化ウラン」の被爆被害だ。「劣化ウラン」とは原子力発電所の要はゴミで、これを使って武器が多量に製造、使用されている、というのだから、そこからして驚く。劣化ウランは多くの被爆被害者を出しているにも関わらずアメリカ政府は劣化ウランの有害性と被害を認めていない。

最初の章には、湾岸戦争で被爆した帰還兵たちの証言がたくさん並ぶ。悲惨だ。
同時に、こうも思う。彼らは、広島や長崎に落ちた原爆のことをろくに知らない。もしも知っていたら、核から漏れる放射能の怖さがいくらかでも想像できたろう。それに、自分たちが加害者になった原爆投下について知ろうともせず兵士に志願するなんて、いったい何を教わってきたのだ、と。そう、兵士のひとりが言う通り「因果応報」に近いようなことがアメリカで起きているのだ。正直「いい気味だ」という印象も持ったと白状しなければならないが、因果応報されているのは末端の兵士なわけで、やりきれない。

そのような無知を生み出した背景にある、アメリカの歴史教育にも、多くのページがさかれる。
有名な話であるが、アメリカでは原爆の投下は正当化されている。ただ、この件もいろいろと変化して、必ずしも全面的に固定したものではない。ただ現況としては、教育に市場原理が持ち込まれていて好ましい印象はないよう。
著者は感情をあらわにしない冷静な筆致で、さまざまに多様なアメリカ人の考えを取材していく。これ、読んでいて結構不愉快になって読むのがだんだん苦痛になってきてガス欠を起こした。なので途中気分を変えて「エピローグ」を先に読んだら、いくらか持ち直した。わたしと同様になった人はそうした方がいい。


--------------->つづく

posted by sukima at 16:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

イスラエル

■おもなイスラエル支援企業
スターバックス、ダノン、コカコーラ、エスティローダー、ネスレ、IBM、ディズニー、ロレアル、ノキア、ジョンソンアンドジョンソン…

といろいろあって、コーラは飲まないとかスターバックス入らないとか可能だけど、ディズニーの浸透力はすごいからなぁ。

マイクロソフトやインテルも、現に使っているけど、それはまあ思い切り中古商品。

posted by sukima at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

アフガニスタンについて-2-



米国防総省、アフガンへ3万4千人規模の増派計画

…という、アメリカの話と、

日本はアフガン和平貢献の中心に 各国代表らが提言

東京でアフガン国際会議始まる タリバンと対話の道筋探る

…という、日本の話と。

今、思いついて「Afghanistan」「افغانستان」で画像検索して、他の国----iran、Iraq、Pakistan----そしてJapanと比べた。

Iran、Iraqも戦争や武器関連の画像が多いが、まだ多少は文化らしきものを感じる。また、武器の価格帯も高そうだ。その分、より機械的で高次に冷酷な印象がある。

それに比べてもAfghanistanはほこりっぽい何もない土地プラス兵隊という写真が多い。
それに加え、どういう事なのか、子どもが悲惨なことになっている映像が目立つ。




増派でも世界宗教者会議でもいいから、子どもたちに最低限度の文化的なくらしを!!





posted by sukima at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

アフガニスタンについて

アフガニスタンで日本がすべきこと、やってはいけないこと

…これを聞いての感想。絶望した。アフガニスタンにも日本にもアメリカにもNATOにもタリバンにも国連にも絶望した。これがホントの絶望。すでにマインドは糸色望(いとしきのぞむ)。
それくらい、行き詰っているのである。
何がどう行き詰っているのかは、本編を見ていただくのが一番。
出だしの4分40秒はトイレタイムだから、その間にすませて、もどったら本編というわけだ。
タリバンは、アフガニスタンの一般人の中に混じってすっかり人心掌握してしまい、いくらこっちサイドの人間が働きかけても無駄のようす。
特に、警察が腐敗しすぎてしまった。
絶望というか、いったい何が問題だったのかも分からなくなってきた。

もともとは、911があり、アフガニスタンに911の首謀者が隠れている、という話があってアメリカが攻撃、日本はアメリカへの無条件追従外交で、一緒になってアフガン攻撃に参戦…(しそう)…となって。
また、二言目には「テロとの戦い」を錦の御旗とする、戦争是認のための貧しい言論がうずまいて。

そういう意味では、今日本は、政権が民主党になって、とりあえず、自民党ほどは追従しなくなった。
また、アメリカは大統領がオバマに変わった、ということで、やっていること自体は大きく変わったわけではないながら、必要以上に好戦的な気配はない。
だから、いくらかは、「良く」なっている。

のかどうか、それは、アフガニスタンの死者数や、貧困の具合、全体の状況による。
それによるとアフガニスタン側からは、何も良くなっていないし、さらには国連も、アフガンが危険すぎて完全退避するところだそうだ。

タリバンの考えていることや望んでいることが何かは不明ながら、国際社会だの国際だのといった考えはなく、イスラムの教えに従っているらしい? しかも資金源は麻薬である。
それならもう、やりたいようにやればいいんだよ!! 麻薬を世界中にうりさばいて麻薬を必要とする人種が麻薬漬けになって、それで世界の大半がだらーーんとふやけきったからといって、何が悪いのか。いやむしろそうなればいいんだよ。

という考えも浮かんでしまう。

国際、という概念を持つ側は何を怖れ、何を阻止しようとしているのか。
ひとつは、アルカイダの強そうなのが潜むパキスタン(核をもっている)が、弱体化したアフガニスタンに侵略し、アフガニスタンの人々の人権を蹂躙する。(という悪いシナリオが考えられるそう)

これから打つ手があるとすれば、政治というアプローチではなく、他の国のイスラム教のえらい人?らによる、イスラム教的なアプローチによるタリバンの懐柔。タリバンは選挙が嫌いである。タリバンは、先進国的な、資本主義的な、非イスラム教的な、そういうのが全部嫌いである。嫌いなのでいくらでも破壊する。が、それは、アフガニスタン人みんなの意思ではないし、望んでいることでもない。

氏は最後にごくごく控えめに遠慮がちに言う。アフガニスタンに思いを馳せてほしいと。
(控え目すぎてそう言ったのかどうかも確信もてない)
そりゃそうだと思った。思いを馳せるのと馳せないのではドえらい違いがある。
科学はまだ証明していないけど、馳せなければそれきりだ。最悪みな滅んで無になってしまう。(そしてその無はどんどんこっちに押し寄せてくる)

糸色望とか言っている場合じゃないってことかな。

※当方の番組解釈と説明は自己流につき、自分で確認して耳(教えて)ください

posted by sukima at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

オバマ大統領にノーベル平和賞

本文とは関係ないけどイグノーベル賞ドアのアンケート

オバマ大統領にノーベル平和賞、納得できる?

みなさん、厳しいのに驚いた。
もともと「核廃絶」の実現って不可能なことだと思うわけで、というのも、核兵器の原料(ウラン??)と、核兵器の作り方のレシピみたいなテキストさえあれば、仮になくせたとしても、核兵器はいつでも蘇るわけで。
(よくは知らないけど、そういう話をどこかで聞いたような気がする…)

だからこそ、核兵器廃絶をいつも常に新しく、言い続けなくてはならない。
毎年毎年新しく人は入れ替わる(生まれるのと死ぬのと)ことを考えると、年配者には耳蛸であっても、新たにまた、誰かが言わないといけない。
オバマさんは演説以外のことは何もしていないけど、もともと完全なる核兵器廃絶は言葉の上のことでしかない(かもしれない)ため、オバマさんの「呼びかけ」には大きな意味がある。
最々小に見積もっても、核はそれくらいにイヤーなもんかと

核兵器原料の物質生産禁止、条約の交渉開始へ
と思ったら、「兵器用核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約」というやつがあって、オバマ氏の演説はそれなり効果があった模様だ。
ラベル:オバマ 核兵器
posted by sukima at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

最近見たWEB。核なき世界のために。もしくは、真実のオバマスマイルを求めて

「核なき世界」決議を全会一致で採択 安保理首脳会合(2009.09.25 Web posted at: 10:33 JST Updated - CNN)
というニュースがあり、

安保理首脳会合 「核なき世界」決議 全会一致で採択 軍縮への努力誓う (軍事情報センターさん)

なるへそと思うことが書いてあった。
それでわたしも「核の傘」について、いろいろ考えた。

仮に北朝鮮が日本に核を打ってきたとして、その仕返しにアメリカが北朝鮮に核を打ち返すのであろうか。
それはないと思う。
まず、日本に(命中したら、だけど。それに北朝鮮にそれだけの軍事技術があるとして、だけど)落ちた核が被害を出している現場には、「報道」はまず入れないだろう。
それに、風がふくたび放射能があちこちに移動するだろうから、それだけで日本国内と周辺国はパニックになる。
情報がないから、なにがどうなっているのか、どう動けばいいのか右往左往しそう。
それに、核をアメリカが発射するなどということは、アメリカの世論だって猛反対しそうだ。
万一アメリカが核を北に使った場合、その仕返しに、北朝鮮と多少は仲間っぽい中国とかロシアがアメリカ本土を狙ってきたらどうするんだ? と考えて、アメリカ国民は、猛烈に核の使用に反対するだろう。

ということが予測される。
というか、そんなシミュレーションは何万回も繰り返されているんだろうけど。
(ということは、最初に使ったもんの一人勝ち??)

考えれば考えるほど、核なき世界という方向でやってくれないと物騒でたまらない。

おっと、そう思っていたら、25日の極東ぶろぐに「オバマ大統領の言う、核兵器なき世界の実現にともなう困難に幻想を抱かないということ」なる記事が。

・・・そうは言ってもねえ・・・核兵器が怖いんじゃなくて、人間の心が怖い。
せんだってのリーマンショックとかサブプライムローンだって、国の上層にいる人間が腐っている(※)から起きるわけで、まだ金融危機くらいならいいけど、核の周辺の人間が

「もーめんどうくさいし、人類きらいだから核ボタンおしちゃおー」

なんてノリでいられたらと思うと、夜も寝られない。寝るけど。

そんなでガンバッテーオバマ大統領!!とか思うわけだけど、GIGAZINEでとんでもないものを見てしまった。

Barack Obama's amazingly consistent smile

オバマ大統領大丈夫なんでしょうか。ロボットみたいで不安になってくるから、もっと笑顔に変化出してください。(要望)



※腐っている=儲けること以外のことは、何一つ考えていない
ラベル: 核の傘
posted by sukima at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

シリーズ政権交代

今日のNHKクローズアップ現代。ゲストは前原さん


9月3日(木)放送
シリーズ政権交代(3)
日本外交の行方は

歴史的な政権交代を果たした民主党。しかし、選挙中から外交政策に関しては、「具体的な中身が見えない」という声などが上っていました。半世紀近く同盟関係を結んできたアメリカでは、これまでの対米政策が大きく変わるのではないかと、不安視する声が出始めています。一方、選挙前に外交分野での共通政策が打ち出せなかった社民党、国民新党との間での、連立協議が始まっています。民主党政権のもと、日米関係はどうなるのか。北朝鮮問題やインド洋の自衛隊による給油延長など、差し迫る外交課題にどう対処するのか。民主党の幹部に聞きます。
(NO.2783)
スタジオゲスト :前原 誠司さん
    (民主党副代表)
スタジオ出演 :広内 仁
    (NHK政治部・記者)



続きを読む
ラベル:民主党
posted by sukima at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

時間が長くたつと、どんな出来事を語る言説も気ままに、気楽になるのか?

自分のアンテナを見ていたら、軍事ニュースとボーガスニュースで同じネタをやっていたため、一瞬頭が混乱し、ボーガス(ボーガス)と真面目が混ざり合って眩暈がした。

最近このタイプのことが多く、その前もひょんな検索から「五月人形としても最適です。吉徳の「ダース・ベイダー鎧飾り/ダース・ベイダー兜飾り」というのをみつけてしまい、「手の込んだジョークサイトだなぁ」と感心して眺めていたのであるが、よくよく見ると大真面目の本物らしいのだ。
えーーっ!!ダース・ベイダーって息子のルークを殺そうとしたんですよ?!五月五日のお節句に飾る兜って、子どもを守ってくれという願いを込めてのことでしょう??正反対の意味になるじゃないですか??ダースベイダーじゃ?!

と、ひっくり返った。

☆ ☆ ☆ ☆

それはそうと同じネタの方


[概要]航空自衛隊の田母神(たもがみ)幕僚長(60)が、日本の過去の戦争をめぐって「我が国が侵略国家というのは濡れ衣だ」と主張する論文を執筆し、懸賞論文で最優秀賞を授賞し、31日からネット上などに英訳とともに公表されていた。

 このことを受けて、浜田防衛相は31日、「先の大戦の評価など政府見解と明らかに異なる意見を公表しており、航空幕僚長にふさわしくない」として、田母神幕僚長を更迭しした。論文は日中戦争について「我が国は蒋介石により戦争に引きずり込まれた被害者」と指摘し、旧満州や朝鮮半島が「日本政府と日本軍の努力によって、圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」と植民地支配を正当化。その上で「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣だ」と結論づけている。
 自衛隊のあり方については、集団的自衛権、武器使用の制限を挙げ、「自衛隊は雁字搦(がんじがら)めで身動きできない。マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」と記している。こうした政府見解を否定する論文を執筆したことで、野党やアジア諸国の反発が予測される。

 田母神・空幕長は31日夜、自宅前で報道陣の質問に答え、「(更迭には)淡々と政府の指示に従う」と答え、論文の内容を変更するつもりがないことを話した。


なんで「幕僚長」なる存在が「懸賞論文」に応募してるのか知らないけど、しかもそんなのを最優秀賞に選ぶ団体って何者なのかぜひ知りたいものだけど、ともかく、この手の事を言い出す人は結構いる。
特に2ちゃんねらー。

というか、わたしの知り合いの2ちゃんねらーがそう。

知り合いは、「中国の支配から救ってやったんだ」とか「もともとは西洋列強がさんざん植民地にしていたのを取り戻したんだ」とか「日本のお陰で文明化したんだ」という。
植民地のことは、そういう問題じゃないだろうと思う。

仮に、一世帯あたり1億円をくれるのだとしても、日本語という言語を捨てるのをヨシとしますかっていうの。


まー確かに、困窮に困窮を極めていたら、金に目が眩んで二度と日本語を使わない約束をするかもしれない。
うん、なんかしそう。
しそうでこわい。

だからって、そんな弱味に付けこんで、他国が培った文化をふんづけていいのかって話だよ?

そういうと今度は、「いいじゃん、日本もアメリカの植民地みたいなものなんだから」と極論に走る。
「植民地ってこういう状態のことではないよ」と、わたしは言う。しかしいかんせん、よく分っていないので自信はない。
そして知り合いは、こっちの言うことは何も聞かず、同じ内容を言い張り続けるのである。

つまり、嫌韓で反中なんだと思う。
そして、自分がアジア人なのを受け入れられない近親憎悪に支配されているのだと思う。
それ以外に、解釈のしようがない。たぶん、アジア人が嫌いなのだ。


とりあえずそんな「幕僚長」ならいらない。首になってよかった。
ラベル:アジア
posted by sukima at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

ペシャワール会、伊藤和也さん、遺体で発見の報

昨日、テレビを見ていたら無事が確認されたとの報があった。
ところが今朝の6時、夜勤アケの相棒が新聞を取りに行ったらその一面が「遺体で発見」というものだった。
相棒も、これにはひどく驚いていたし、わたしもだ。


これによってまた「自己責任論」で片付けられる怖れと、そして「テロとの戦い」という、あの空虚な合言葉が復活、ひいては日本という国が戦争へ荷担する言い訳に使われる怖れが出て来た。


どちらも、伊藤和也氏がもっとも喜ばない流れだろう。
自分の死をそんなこと(アフガニスタンの人々の平和な暮らし、に反すること)に使われることは、自分の死よりもツライことに違いない。

posted by sukima at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

2008年の戦争写真




グルジア紛争。ロイターの写真集の一枚


今という時代、写真はなんて美しいのだろう。


画像の質感のなめらかさ、色彩の鮮やかさ、構図の見事さ、ブレのない確かな輪郭、確実で安定した光の具合と明るさ、そして、写真全体をおおう、好感度の高い清潔感。


どれもこれも、戦争を伝える以前に、写真の美しさに心も目もひきつけられる。

戦いの場所の悲惨さなどは、ほとんど感じられないと言っていいのではないだろうか。

事実戦いの場所は、暗くもなくつらくもなく悲しくもなく、美しいのかもしれない、とすら思えてくる。


何もかもが、まばやい光の中で輝いている。



ラベル:戦争 写真 2008年
posted by sukima at 10:16 | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

クラスター爆弾禁止条約に日本が(日本が)調印(奇跡)

軍事最新ニュースを見ていたら、クラスター爆弾禁止条約に日本が調印して、全会一致で採択したとの報。
これ、全会一致でなければ通らない条約だったはずで、福田さん、やればできるんじゃんか!!
さっさと最初からやってなっての。

なにやらまたコウメイトウが噛んでいる様子だけど、この際なのだ。


クラスター爆弾:即時全面禁止条約案を全会一致で採択

不肖当ブログがまとめていたクラスター爆弾関連。オスロプロセスの日程は、なるほど今年の5月か6月だった。


posted by sukima at 10:50| 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

衆院2/3で可決

去年テレビを見ていたら、「テロ法案、否決されれば衆院に戻して3分の2以上の多数で再可決、成立させる、というやり方は、もっとも避けたい方法で、あの安部晋三ですらやりたくなかった、法案の通し方。それをやるくらいなら、解散総選挙になるだろう」

とにぎにぎしく言っていた。
とうとうソレをやってしまったのに、あまり騒がしくその件は叩かれていない。

関連することに対して、
立花隆先生、コメントなし。(というか更新終った?)
田原大ジャーナリスト、沈黙。(というか更新終った?)

軍事ニュースさんの1月11日、コメントあり。

その他の参考
1月11日の話題
「3分の2以上」でまとめてブログ検索
わからないということだけ(hatenaダイアリ)マスメディアまとめ
新聞製造機によるテロ←パッと見分りやすいと思ったものの、何日も場面が同じだ
googleニュース「テロ」(←これだけのテロがあって、終わりが見えてこない。それもこれもキリスト教圏である欧州がムリムリ事態収拾しようとするからではないか。だからこそ日本はここで慎重になってキリスト教圏とは違う行動を取ったほうが、最終的には対テロとして有効なのでは? 本気でテロに取り組むなら。ということで、インド洋派遣も反対していたはず… しかし、そういうまな板に乗ったのだろうか?)


ただ、今すぐ解散総選挙となっても、判断材料を伝えるマスコミが頼りない。
もっとも大きなマスコミは「読売新聞」だろうが、判断材料や争点をちゃんとリストアップし、それらをきちんと解説し、その上で社説などで自社の考えを述べる、というやり方をせず、最初から自民党とブッシュ、日米安保の、盲目的な従順の中にある。

という印象。職場にあるから見ているという程度で感じていることだけど。

こうなると、根本的な限界というか、根腐れというか、もう終っているというか。

いかに今までマスコミ依存だったかと思い知らされるのである。


☆ ☆ ☆ ☆ この項続く ☆ ☆ ☆ ☆

◆おしらせ
政治と軍事のことばかりだとゲッソリとやつれてくるため、他の話題も混ぜることにしました。

このブログは、hatenaダイアリに書いていたものの、続きです。

映画らへんも更新しました。『マルホランド・ドライブ』から5年、昨年7月に公開された、リンチの『インランド・エンパイア』のレビュウです。
ラベル:テロ
posted by sukima at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

記事チェック録

今日検索したら、こういうことが書いてあった。


自衛隊の海外派遣恒久法、政府・与党が制定へ調整着手

 町村官房長官と高村外相、石破防衛相は8日午前、首相官邸で会談し、自衛隊の海外派遣の在り方を定める恒久法(一般法)制定に向けた調整に着手する方針を確認した。

 これに先立ち、町村長官は7日、自民党の谷垣政調会長に対し、恒久法案の内容を検討する与党プロジェクトチーム(PT)設置を要請した。18日召集の次期通常国会への法案提出も視野に、与党は月内にもPTを設置する。

 町村長官は8日午前の記者会見で、「今の特措法というスタイルで、(自衛隊の海外派遣を)やるのも一つの方法だが、迅速性に欠けるなどの批判があり、一般法の必要性は理解されつつある」と強調した。

 政府・与党が恒久法の制定を目指すのは、自衛隊を海外派遣する際、国連平和維持活動(PKO)参加などを除き、その都度、特別措置法を制定している現状を改めるためだ。自民党の国防部会防衛政策検討小委員会が2006年8月にまとめた「国際平和協力法案」を土台にして法制化を目指す。

 同法案は、自衛隊の海外派遣の要件や活動内容、武器使用の基準などを定めている。国はこの範囲で事態に応じた活動内容を決定し、国会の事前承認を得て、自衛隊を海外任務に送り出す仕組みだ。

 町村長官は8日の記者会見で、自民党案について、「めいっぱい可能なことをやるとこれだけになるというマキシマムに近いものだ。現実的には精査して縮小されていくと思う」と述べた。

(2008年1月8日14時31分 読売新聞)



これ見ていると、また自衛隊がインド洋で給油を始めることになりそうで、これではまた振り出しではないか。(※1)
給油は、憲法違反ではないという見解を示す自民党。

わたしには、違反としか思えないんだけど。


しかし、12月23日に遅まきながら見たNGOが「自衛隊のアフガン派遣反対」の動画を見ると、複数あるNGO団体のグループの人たちが一枚岩に自衛隊派遣に反対している風にも見えない印象はあった。
同じアフガニスタンでも、比較的安全な地区と危険な地区があり、危険な地区で活動をする人たちが、自国の軍に守ってもらいたいと考えても不思議はない。
もともと、「日本を守る」という専守防衛で存在している自衛隊。
そして「日本を守る」とは、日本の土地家屋建物を守るという意味よりも、日本人の命を守る、の方が主体と考えるなら、そのための派遣であるなら憲法違反とは言えず、納得できるものは生まれる。(※2)

もっとも、自民党の今までの思考回路を鑑みるに、そういう理由で自衛隊を送り出すことはなさそう。

その一方、アメリカ合衆国の大統領選挙が今年の11月4日にあり、ブッシュの時代は終る。次の大統領のテロ対策によって、またコロコロ変わりそうな予感。



民主党、新テロ法案を参院継続審議へ…首相問責案は見送り

 民主党は7日、新テロ対策特別措置法案について、参院で採決せず、継続審議を求める方針を固めた。また、与党が同法案を衆院で再可決した場合も、福田首相への問責決議案の参院提出を見送ることを決めた。

 小沢代表と菅代表代行、鳩山幹事長、輿石東参院議員会長、山岡賢次国会対策委員長が7日、党本部で今後の国会対応について協議した結果、一致した。

 民主党は当初、新テロ特措法案について、「反対の意思を明確に示すべきだ」として、憲法の「みなし否決」規定を適用できる12日より前に参院で否決する方向で党内調整していた。だが、「みなし否決規定を使わせれば、逆に与党の強引さを浮き彫りにできる」(参院幹部)と判断した。

 これに関し、民主党幹部は7日夜、「否決にこだわらない。新テロ特措法案は参院が主戦場だ。参院民主党が採決を見送るべきだと主張するなら、それに従う」と記者団に語った。

 一方、政府・与党は継続審議には応じず、12日にも衆院で再可決して成立させる方針だ。

 民主党が首相問責決議案の今国会提出を見送ったのは、揮発油(ガソリン)税の暫定税率存廃や年金記録漏れ問題など、国民生活に直結するテーマで政府・与党と対立した場合に備え、「切り札」として温存するのが狙いだ。

 揮発油税の暫定税率維持を含む租税特別措置法改正案を巡る攻防は3月下旬にヤマ場を迎える見通しで、民主党はこれに照準を合わせ、福田政権を衆院解散・総選挙に追い込みたい考えだ。小沢氏は7日、テレビ朝日の番組に出演し、「それ(新テロ特措法案)と(首相)問責(決議案)を今国会で出すかどうかは、別問題だ」と述べ、提出を見送る考えを示した。

(2008年1月8日3時5分 読売新聞)



わたしの場合いまいち理解しきってないけど、そういう「政治」戦略を展開するつもりらしい民主党である。


(※1)
「新テロ対策特別措置法案」の具体的な文章がみつからない
(※2)
現地の状況は相当に複雑そうなので、カンタンにはいえませんが
posted by sukima at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

週刊現代で解ろうとしてみた

11月1日以降の政治状況を概観することは存外難しかった。
まずやったことは「自衛隊 テロ 特 参議院」で検索することであったが、収穫はなかった。
もっとも、SERPの上位3件しか確認しなかったのだから、無理もない。
それ以前に、検索キーワードが悪いのかもしれないので、あとでまたやってみる。
その他、「ニュースの深層」は見れないし(かってにデジタル化されたため)、「クローズアップ現代」は今年7月のケシ栽培以降、「アフガニスタン」や「テロ特措法」をてってー的に避けて(避けている点については、アフガニスタンに限らないのだけど)いるし、ビデオニュース・ドットコムにいたっては、11月9日に「幻の安保政策大転換を惜しむ 小沢辞任騒動を受けて」と、惜しんだきりその続きがないのである。

もう、何で調べればいいのだ。


しゅうかんげんだい


仕方がないから、スーパーに寄ったおり、『週刊現代』を買った。
なぜ『週刊現代』かというと、何かとよく見かける雑誌名だからである。
雑誌コーナーで手に取ると、派手派手な表紙で、「取材力ナンバー1!『超大型ワイド』年末年始特大号」とあり、この際まとめてこの1年間を全部見てしまおうと、合理的な考えをもった。
むろん、一番見たいのは、テロ特関連の直近の政治だ。

と、いうことで第1ページ目である。
第1ページ目は「2007年日本を激震させた 週刊現代スクープの瞬間!」という、血塗られたような赤い巨大なフォントが禍々しく踊るグラビアページで、写真は、雪の中の一組のカップルであった。
「いったい何が起きていたんだよ?」とおそるおそる文章を読んでみると…

「謹慎中だった加護亜依の温泉愛&喫煙をキャッチ!」

とゆうのである。
ズルーーッとずっこけ床を滑り背中を仰け反らすという、いかにも60年代生まれチックなリアクションをしてしまったではないか。

温泉愛がどうしたっちゅうんじゃい(リアクションつづいている)。温泉くらい行くでしょうよ。変なアイドルオタクどもに「かごちゃーん」とか追っかけられて何のトクがあるんじゃ この男もパッと見かなり怪しいけど、本人がいいってんだから。

次のページは東国原知事の自宅に4人の女性が次々入っていったという話で、知事ってそんなにもてるものなのか、そこらは知りたいものであるけれど、嫉妬混じりの私情を挟まれると、不透明。

次はリンチ死。
リンチ死は、週刊現代が追求しなきゃそのまま警察は事故死扱いしていたというの、ほんとなんだろうか。
ヒドイ話だ。そのてんについては、お手柄ということだろうか。


と、ここまでで最初の数ページ。あとえんえんと続きそれぞれ興味深かったが、知りたいことは載っていなかった。
というか、この雑誌で知ろうとしたのがシロウトだったのか。

マックの話は衝撃度は高いながら、もう食べてしまったものはしょうがないので、とりあえず後で読むことにする。
でもって最後の方の記事が「経営王子ランキング」で、経営者のワーストとベストを数人出しているのであるが、おっと、どっかで見た顔と思ったら、hatena社長氏が、こともあろうにワーストランキングの1位になっている。
わたしの場合、これ見てhatenaユーザーを辞めたと思われるのやだなーと 思った。
わたしは今日買って今日知ったので、関係ないのだ。
hatenaは経営なんて考えてないような気がする。コミュニティというか、共同体。人の数の力、というか、そういうのを集めたいのじゃないかな?


つまり今年は、「泥沼不倫 花田美恵子」とか「小泉純一郎ひさびさのセックス」とか「○○王子」の年だったようだ。


そんな中、p100見開き「芸能人有名人 愛の相関図」をじっくり眺め、「えええ!」とか独語した夜だった。

posted by sukima at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

成り行きを追う

自衛隊のアフガン派遣、政府が「合憲」解釈という記事もあったのだった。

テロ特措法の期限が切れた11月1日までのことはなんとなく把握しているものの、その後どうなったのか見損ねていた(守屋ナントカつう夫婦の話題ばかりでダレた)ので、鋭意確認中だ。
posted by sukima at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする

読売新聞を見て来た

本日は連休&クリスマスのせいか、外泊の方が多く、仕事かなりヒマだった。
なので患者さま用の新聞を拝借、小沢民主の出した「対案」がどのように報道されているのか知ろうと、点検。

ちなみに、置いてあるのは「読売」だけなのでそれだけ点検。

見たのは、21日朝夕刊、22日朝夕刊、本日朝刊(夕刊は日曜なのでナシ)

ところが、
ない、ない、どこにもない!!
と思ったらとても小さくあった。(写真)

よみうりしんぶん

21日朝刊第4面の一番内側にかろうじてあったのだ。
そう、ぎゅう詰めの電車の中で見ると、充分に開けないので見落としてしまう、奥の方。
「なるほどねぇ」と思いつつ帰宅した夜だった。


(ぜんぜん関係ないけど、この記事の下が「PHPの本」の宣伝欄で、小さなクイズコーナーがあって、いわく

<『女の品格』の第二弾は『○の品格』 ○に入る漢字は何?>

というのだった。女の品格皆無のわたしはお下品な漢字しか浮かばないのだった。)
ラベル:マスコミ
posted by sukima at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。