2008年06月04日

爆笑問題のニッポンの教養 | 「私が愛したゴリラ(前後編)」 / media:テレビ

ゴリラの瞳この前、『暴力はどこからきたか』の感想をupした関係もあり、その著者である山極寿一氏がゲストであるこの回は、是非見てみようと思っていた。

わたしは爆笑のファンではあるものの、科学や動物にはさほど興味を持っていないため、今まで観ていない番組であったが、観たら面白かった。途中、娘が仕事から帰って来て、「太田さんって、なんでも詳しいんだね、政治も詳しいし」と驚いたため、「ホントだよねぇ、政治から科学から、何にでも首をつっこむよね」と、別段皮肉ではなく本当に感心して答えていた。総理大臣を見ていると、最近は首を突っ込みすぎて2ちゃんねるとかの掲示板で自分の悪口まで見ている印象で、そんなの見るのバカらしいからやめるべき、と進言したい。

それはともかく、山極氏は日本で初めて本格的なゴリラの研究をした人、ということで、日本で一番ゴリラに詳しい人のようで、実はゴリラは鼻歌を歌う、実はゴリラも赤ちゃんの時は笑う、実はゴリラはかっこをつける、などなど語っていた。
風貌も、どこかゴリラ的な大らかさがあり、しかもハンサムでやさしそーなため、さぞかし女子大生にもてると思われ、あの雰囲気でもって「ゴリラもみつめあうのだよ、人間の場合これだけの近距離でみつめあうのは、母子の関係をのぞけば、そう、恋愛だけなんだ……」なんて瞳をのぞきこまれて教授されたら、その場でフォーリンラブしそうである。

一方太田光氏は、なんかサル系の顔っていうか、最近ますます神経質なチンパンジーみたいな風貌になってきた気がして、つくづく2ちゃんねるなどは見るべきではない。

さらに田中氏であるが、あぶなげのない男である。彼はサルには興味ないだろう。まわりの人間が動物めいているため、ゴリラやチンパンジーどころではなさそう。

さてそんな三者三様の中、かっこをつける、ポーズを決める、というのがゴリラの本能であることを思えば、自分がどういう形を取り、他人からどう見られるのか、つまりは美への意識(あるいは自意識?)というものが、思いのほか根源的なものであると証明されたようなもので、ここから太田氏は、自分の得意分野でもある国家・政治論へとつなげ、「国家のありようも、理屈を積み上げていくより、まずどういう形にするかから決めるのがいいのかも」と言い、山極氏は、それを「構え」という言葉で表現したあたりで、なるほどーと見事に番組が決まった感じがした。


「私が愛したゴリラ」番組サイト


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であとは余談。この前『暴力は---』の感想を書いたことは書いたものの、自分の本当に感じたことはコレではない、という感覚にさいなまれていた。その後、ひょっとして自分はゴリラが好きではないのではないか、と思った。いや、ゴリラが、というよりも父系社会というものが好きではないのだろうか、と。しかし、父系社会は、メスが外へ出て行けるというメリット(自由)がある。母系ではそうはいかないのだ。

父系というより、父という存在に対する抵抗の感覚だろうか?
父に関して、わたしにはほとんどいい思い出がない。
すごい虐待をされたとか、そんなのは何一つないのであるが、それにも関わらずどうして父はこんなにも重苦しく、苦渋に満ちて、つらい存在でありつづけるのだろうか…。


posted by sukima at 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | Review | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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