インランド・エンパイア

inland.jpg池袋、新文芸座にて。
新文芸座、以前は「文芸座」という名の有名な名画座だった。レンタルビデオの普及で名画座の存在意義がなくなり潰れた、という話だった。
このたび、『インランド・エンパイア』を上映するというので足を運んだわけだが、とても清潔でピカピカな建物に生まれ変わっていて、以前の汚い建物に比べて、逆に物足りなさを感じた。
と思ったら、客層は昔と変わりはないようで、油ギッシュな白髪頭の男性諸氏が多くいた。若い頃はそういうのがイヤで仕方なかったものであるが、今となっては中高年男の油など気にならない。
その代わり中高年男子の中には、映画の途中で退屈して、はーだの、ふーっううっだの、うううーーんだのとうるさくため息をつくのが数名いて、気が散って仕方がなかった。ぎとぎとや足の臭いのは我慢するから、少しは気配を消してくれと思った。




なーーんて言って、かくいうわたしも、途中で3回くらい寝そうになって焦った。
分りやすい映画とは言い難いため、「ここで寝たら分らなくなるーっ!」と思いつつも舟をこぎそうに…
もっとも起きていても全然分らなかったので、同じといえば同じだった。
かといってじゃあ観ない方がよかったのかというと、そんなことはない。断然観た方がいい。
面白オカシクはないし、観終わった後爽快とか快感とかはまるでなく、いろんなものが内部でくすぶる映画でスッキリしないのであるが、観た方がいい(できれば映画館で)。


イントロのモノクロ映画の部分からしてすっきりしなかった。役者の顔に「ボカシ」が入っているのだ。顔を理由不明でぼかされるととても不吉で、これだけで早くも悪夢的だった。今思えばあれは、『暗い明日の空の上で』(作中の映画)の元ネタ映画で、撮影開始してすぐに中止になった『47』(同)のワンシーンだったのかもしれない。でなければ、『47』に主演し不倫関係に陥いり(とウワサされ)、殺害された(とウワサされる)ふたりの俳優女優の、映画ではない実際のシーンだったのかもしれない。
しかし、観客が観ているのはどちらにしろ「スクリーン」なのだから、虚と実、どちらだろうと考えても結論は出ない。


デヴィッド・リンチのこの映画の何がスゴイのかと一言言ってしまうと、ローラ・ダーンがすごい。
ローラ・ダーンの、特に顔がすごい。
ローラ・ダーンの年齢がいくつかなんて考えたことはなかったけれど、今調べたら40才だった。
40才よりずっと上に見えたのは、白人の老化速度が速いからなのか、ことさらシワの目立つライティングだったからなのか。
この事は、映画に出てくる女性(つまり女優)は、それがどのような役柄であろうと美しくあらねばならない、美的鑑賞に耐えねばならない、という、映画の固定観念への痛烈な批評だ。


と言いたいところであるが、そんなレベルは軽く飛んでいた。

ローラ・ダーンは完膚なきまでに美しくなく、鑑賞に耐えず、3時間の上映時間の最後の方はもはや「おじさん」!!みたいだった。
現代には、年齢が何歳だろうと老け顔を美しく見せる技術はいくらでもあるはずなので、これは意図しているものだ。技術にまずCGという映像技術があるだろうし、化粧や整形の技術も発達しているはずだ。それなのにあのへたくそな化粧、ふざけすぎだろう? デヴィッド・リンチほど、女優の美を濃密に描ける監督はいないのだ。わたしは映画の歴史に詳しくないが、リンチが描く女性美は多分フランス映画のブリジット・バルドーとか、古い映画のエリザベス・テーラーや、イングリッド・バーグマンなどに源流をたどる。さらに、古い保守的な時代に服を脱ぎ肌を見せウフーーン☆と唇を突き出し、「女」を創造してみせたマリリン・モンローの偉業。

モンローは36才で死んでいる。ケネディ関係で殺されたのだという説もあるし諸説ふんぷんであるけれど、要はもう若くないから時代にとって用済みになって死んだのだ(といえるのではないだろうか)。
とここまで書いて、ローラ・ダーンはモンローの36才すぎを演じているのではないか? という考えが浮かんだ。
たった36才という若さで死ぬなんて、どんなに口惜しかったろうか。いくらトシとってオバサンになるからといって!!

実はローラ・ダーンは、大柄で背が高くて金髪なので、わざとらしいほどの顔ドアップの連続以外は、とても見栄えが良い。またとても肉感的な魅力がある。
のだけど、それすらも美しくないのである。彼女が演じるのは、前のめりに何かから逃げ続ける落ち着きのない役なので、猫背ぎみにフラフラ小走りになってばかりで、何とも念のいった美しく「なさ」だ。
いったい何から逃げていたのだっけか、数日経過した今となっては曖昧ながら、ひとついえるのは、男によって女にもたらされるどん底の不幸、といったもの。

ギャル(死語?)がまた大勢出てくる。肉体だけが武器の、お色気ムンムンのギャルが。
それがかわいいっちゃかわいいんだけど、カラダしかない。それで男を悩殺して、幸運をゲットしようという夢をもっている。それ以外に人生を切り開く手段もないのだろう。そんな夢をみる多くの女たちが、男と一緒になったはいいが結局は露わになる「男の本性」のまま、暴力を浴びて不幸になる。暴力をふるわれたら、女が男にかなうわけがない。と思ったら意外と頑張るニッキー(ローラ・ダーン)の別バージョンみたいな人が、物騒な体験談(強姦されかけて相手の目玉をくり抜いた)を語る。しかしそれとてそんな風に復讐してやりたかったという願望が言わせた嘘かも知れないので、どうにも疑念がわくし、その話を無表情に聞いていたズレたメガネの男も、この人誰なんだ? という謎の多い人物。そうそう、わたしはこの時のローラ・ダーンの長広舌で眠くなったのだ。

長広舌といえば、裕木奈江。裕木奈江が出ているのは知っていたものの、あんなに長いセリフとは思わなかった。裕木奈江の役どころは「ストリートパーソン2」で、ローラ・ダーンがアングロサクソン人代表だとしたら、裕木奈江はアジア人代表、そのお隣の「ストリートパーソン1」は黒人代表とでもいうか。でもって人種の壁を越えて女に不幸をもたらすのは、いつだってバカ男に決まっているのだ。


と以上、簡潔にわたしの印象と感想を述べた。といっても、これら印象は全体から受けるそれのごく一部で、まだまだ語るべき余地は残っている。ウサギの三人組もそのひとつ。驚いたことに、映画を観た後で検索して、あのウサギの着ぐるみの中に入っていたの『マルホランド・ドライブ』のナオミ・ワッツ、ローラ・ハリングの二人組みだと知った!!(あとスコット・コフィという男優) どういう贅沢な起用の仕方をしているのか。声だけでわかる人にはわかるみたいであるが、わたしは普段から字幕を追うのが精一杯なので無理だった。


ウサギの他にもまだまだある。もしかして後でDVDを観るかもしれない。
でもってラストも、何が何やらワケの分らないまま終るのであるが、それでも、「どうやら『暗い明日』は終ったみたいだな」と思った。「明日が暗くなくなった」と。これは本当に安堵した。「ロストガール」とニッキーがKissしたところは、もう感動で涙があふれた。ぜんぜん分っていないのに、ともかくカンドーだった。以前にも登場したお色気ムンムンのギャル達がまたわんさか出てきて、伸び伸びと踊ったり歌っていた。それをソファに上品に座って微笑みながら眺めるニッキー(ローラ・ダーン)、そして大勢の登場人物。

何はともあれ、この地上で一番美しいもの何? と聞かれたら、それはギャルだ。つまり、女性の美しさであり、若さであり、若い肉体なのだ。それ以上のものがあるだろうか? これには異論のある向きもあるかもしれない。女嫌いの人とか、男性同性愛者とか、あるいは女など気持ち悪いと思う人も多いだろう。だから全人類に当てはめることはできないし、何ら普遍化しようとは思わない感性であるが、この映画のラストからはそんな熱い想いを感じた。無論、これは女性にとっては諸刃の剣である。若さはすぐに失われるのだから。それでも、女性こそがソレを支持し恋してきたという確信も生まれるのである。
いやこの確信はリンチマジックかもしれないとはいえ、本当にそう思う。


以上、健全かつ前向き方向のレビュウになりすぎたろうか、と不安になる。
なのでもう一言。

映画中、そして映画中の映画中、不倫が始まる。ニッキーの夫からの、デヴォン・バークへの警告も、そそのかしているとしか思えないものだ。いったい男とはどちらの立場のモノなのか。夫なのか、デヴォン・バークなのか? 素知らぬ顔でどちらもやっているのだとしたら大したものだ。ここらは、セックスと恐怖が合体して、不気味だった。

恐怖ばかりではないとはいえ、エロスよりも恐怖の方が多かった。

だけれども安心すべし。『暗い明日の空の上で』は、映画なのだ。
『インランド・エンパイア』も、しょせん映画なのだ。

この世界は『インランド・エンパイア』ではないから、ステキな男性が沢山いる。

幸福を運んでくれる、ステキなステキな男性が沢山いる。


…といいなーーー♪☆ハートたち(複数ハート)




シネマトゥデイ
『インランド・エンパイア』
映画は説明を受け付けないものだ。
主役は映画であり、言葉ではない

byデヴィッド・リンチ
 


もっとも正確で詳しそうなストーリー説明 www.inlandempire.jp

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