【見解】坂本龍一「たかが電気」は、「たかが命」へのせいいっぱいのレジスタンス

わたしも前回様子をレポートした「さようなら原発10万人集会」。

集会のとき、10万人以上を前にスピーチした一番バッターが坂本さんだった。
わたしはやや遅れて代々木公園に到着したため、ステージ前の会場には入れなかったけれど、性能のいいスピーカーが公園内に設置されていたので、スピーチの声はよく聞こえた。

ただ、その場の高揚感と、にぎやかに並んだ出店があまりにも食欲をそそったため、あんまよく聞いてなくて、その後みんなの酒の肴にされる「たかが電気」発言も耳に入ってなかった。それに坂本さんの話しはとても短くて、あっという間に終わっていた。

坂本さんの次は確か大江さんで、大江さんは言葉をナリワイにしているのだから当然だろうけど、伝えるべき内容がちゃんとまとまっていた。その次は落合さんで、落合さんは昔レモンちゃんの愛称で「セイヤング」つう深夜放送をやっていて、わたしが人生で最初に聞いた深夜放送がレモンちゃんの最終回で、その時ラジオの深夜放送ってメチャ面白いワと目覚めたのだった。落合さんの話は、あの最終回の続きを聞いているようで、とても感慨深かった。

さっき東京新聞で読んだけど、政府事故調の最終報告が23日に出たそうだ。政府事故調でも、SPEEDIがどうして機能しなかったかは、解明されなかった。
政府事故調は国会事故調と違って事故の直接原因を津波としたそうだ。ただし最終的に残る疑問の数々は地震が原因ではないかと、示唆している。

大飯原発再稼働を宣言した時の野田首相といい、事故原因が何かハッキリしていないのに早くも次の原発を見切り発車する当局のやり方といい、そも事故前から、本当に安全な原発を作ろうと本気だったわけでもない原子力村の人たちといい、彼らの言動は、「たかが国民・地域住民の命」としか聞こえないものだ。「たかが命のために、大事な原子力を捨てる理由がどこにあるんだ」と、たぶん本気で思っている(としか思えない)。

そんなに命軽視なら自分の命かけなよと思うけど、そういう気はないのだろう。彼らが危険な場面に居る所を見たことがない。かけるのはいっつも、他人の命ばかりだ。

坂本さんがせめてもの腹いせに、「たかが電気」と言ったからといってどうして責められよう?
言葉足らずで誤解を生む要素があったとしても、あれだけの大観衆を前にうまく話すのは難しい。音楽家だからそれなりに繊細なはずだし。

電気が必要で、電気が大事で、もっと言えば電気大好きなのはみんなそう。

それをたかがと言わなくてはならなかった気持ちも、くんでやってほしい。

☆ ☆

注:わたしは坂本さんあたりの回し者でわありません。つーか坂本音楽あんま聴いたことないし、よくわかってはいない汗

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