ヒミズ

映画を見る前に、予備知識を仕入れないよう気をつけている。


なのでヒミズもそうだったのだけど、「東日本大震災」後の日本を舞台にしている---震災をないものとして撮りたくない、といった監督の意向---のは知っていた。
見ると、実にわかりやすいことに、地震と津波に破壊された後のどこまでも続く瓦礫の荒野が数回映し出されていたので、確かにそうだった。とはいえ、それ以外に特に震災後としての特徴があるような気がせず、そのぶん震災はとって付けた後付けのような印象を受けた。

前作『恋の罪』のシナリオをわたしはたまらなく好きに思っていたので、この点を残念に思いつつも、映画がより現実の混沌に近づいたようにも感じ、へたな完成度よりもそっちを優先したのはいっそ格好いいのではないかと思った。格好よさばかりではなく、見ているとPOPな心躍る感じも受ける。と、いうのも、本作に至るまでに見てきた同監督の役者達が、まるで違う性格でぽんぽんと登場し楽しげに脇を固めているし、殴る蹴るの暴力シーンはつらいものだが、それも妙にリズミカルだったりもするし、詩が韻を踏むように映画の中の出来事も韻でもふむような因果律がある、ような気がした。

それにしても住田の父がひどすぎる。肉体の暴力も相当にひどいが、いわゆる言葉の暴力がひどい。「お前が湖で溺れた時なーー 助からなきゃよかったんだよ、どうして助かったんだろうなー お前あんとき死んでりゃよかったんだ」と繰り返し繰り返し何度も言うサマは「こいつ殺した方がいい、はやく殺っちゃいな」と、見ていて殺意がわいてきても当然だろう。わたしの6シートくらい横に座っていた女子なんかズーズー鼻水すすって泣いていたくらいだ。そして実際に殺しが起きた時、青いテントの中で息を殺して様子を見守っていた水辺の仲間達…

水辺の仲間達を、震災後の日本に生まれた(かもしれない)共同体とか、住田の父を、子を押しつぶし尊厳を奪おうとする原発利権的・官僚的・権威的・東大話法的なものとか、あるいは天災(地震、津波)に匹敵するものと、考えてみるのもいいかもしれない。実際わたしは見ながら、こんな両親の元に生まれるのと、天災に襲われるのとどっちがいくらかでもマシなのか比較していた。
が、なんといっても住田と茶沢の中学生ふたりがオトナたちに痛めつけられながらも、普通に生きようとする、普通に幸せになろうとする。その未来を奪ってはならないと「住田さんは未来なんです」とヤクザにくらいついてまで、そして犯罪を犯してまで住田と住田の未来を守ろうとする元社長の男が、住田の父の正反対に位置して存在している。


ところでビックリしたのは映画中、ビデオニュースドットコムでお馴染みの宮台氏が、テレビ画面越しに登場したことだ。映画の中でテレビが映るのはよくあるケースだが、この場合は特別な意図があるように感じた。と、いうのも、音がやけに大きかったからだ。宮台氏は原発か、もしくはエネルギー問題について喋っていて、その間登場人物たちが誰かを殺している真っ最中なのだったけど、宮台氏の話しの内容を聞こうとするとそっちがよく見えず、見ようとすると原発問題の話しが聞けないしで、混沌たる場面となった。それはもう、現実によく似た混沌だった。


詩:
前作『恋の罪』では田村隆一の「帰途」がリフレインされた。『ヒミズ』でもまた一遍の詩が折々に繰り返され、詠む人も茶沢から住田へと連鎖した。
今回選ばれた詩は、15世紀フランスのヴィヨンという詩人の「軽口のバラード」というもの。


三 軽口のバラード


牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、
どんな人かは、着ているものでわかる、
天気が良いか悪いかもわかる、
林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、
樹脂を見れば木がわかる、
皆がみな同じであれば、よくわかる、
働き者か怠け者かもわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。

襟を見れば、胴衣の値打ちがわかる、
法衣を見れば、修道僧の位がわかる、
従者を見れば、主人がわかる、
頭を覆っているものをみれば、どこの修道女かすぐわかる、
誰かが隠語を話してもちゃんとわかる、
道化を見れば、好物をどれほどもらっているかがわかる、
樽を見れば、どんな葡萄酒かがわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。

馬と騾馬の違いもわかる、
馬の荷か騾馬の荷か、それもよくわかる、
ビエトリスであろうとベレであろうと、知ってる女はよくわかる、
どんな数でも計算用の珠を使って計算する仕方もわかる、
起きているか眠っているかもわかる、
ボヘミヤの異端、フス派の過ちもわかる、
ローマ法王の権威もわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。

詩会の選者よ、要するに何だってわかる、
血色のよい顔と青白い顔の区別もわかる、
すべてに終末をもたらす死もわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。


ヴィヨン雑詩より




どうしてこの詩が選ばれたのか、そんなことはわたしには分からない。
「最初の近代詩人」と言われているからかもしれない。
あるいは、1455年に乱闘騒ぎで司祭を殺してしまいパリから逃亡することになった詩人の人生が、住田に重なるからかもしれない。

事前に予備知識を仕入れるのはイヤだが、見終わった後ならインタビュー記事をいくつか読む。
けど、おおかたのインタビュー記事は、映画館に足を運ばせるかDVDを買わせるためか役者に興味をもたせてテレビドラマ視聴につなげるために話題にするだけだから、たいした質問をしていない。もちろん詩のことなんか聞いていない。

(そりゃあんまりあれもこれも解説されるのも興ざめだが。それに、妙に凝った親密なインタビューも、私物化でもされたみたいで気味が悪いものだが)

その代わり、「園子温 ヒミズ ヴィヨン」で検索すると、濃い感想ブログが沢山出てくると分かった。
そうだね、「ぶつかり合い、殴り合い、言葉をぶつけ合いながら希望を」というのは、確かにそうだったなあ。なかなか自分が今やれ、といわれても出来ることじゃないから尚更、まぶしい。




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