2011年10月16日

鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった! やっぱりネ・・・

鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!

ダイアモンドオンライン週刊上杉隆 13日の記事。

つい昨日あたり知って驚いたのだけど、上杉隆さんには オンザウェイジャーナル なる発表媒体もあり、最新号では石川知裕さんのインタビューを公開していた。いったいこの方はいくつメディアを掛け持っているのだろう? ニュースの深層やメルマガやダイアモンドオンライン、さらにこのオンザウェイジャーナル。さらに氏は、(残念ながらわたしは聞く機会に恵まれてないが)ラジオ番組がいくつかとテレビ?も出ることがあるようだ。八面六臂の大活躍とはこの事だろう。氏はこの強みを生かし、同じ話題を各所でアウトプットするため、いわば「ひとりマスコミ」状態と化して一個人が公衆に対して伝播しえる最大限界値に挑んでいる最中だ。

中でツイッターは非常に重要な意味をもつ。氏はフォロワー数が多いので実際に多数の受信者を擁しているがそればかりではなく、自分に対する評価や話題を次々にRTすることでにぎやかなマスな感じを醸し出す。全国に、新聞記者は3万人いるらしいし、テレビや雑誌まで入れたらさらに多い。それらが発行するメディアの部数と受信者数と受信者への影響の度合いを測る方法をわたしは知らないが、氏の場合それに対抗しないとも限らない勢いだ。

この件に関して元北海道新聞社・高田昌幸氏が「 元北海道新聞社・高田昌幸氏の、大メディアの構造的腐敗への批判がわかりやすすぎる! 」の中で
「上杉さんが10人いたってですね、かたや3万人いるわけでしょ、記者。上杉さん1人で頑張ってたって病気になって寝ちゃえば、寝込んじゃえば明日記事は出ないわけです。」
と、ごくごくまっとうな指摘をしたところ、「ゴルフしてます」などと意をくまない大人げない答えをしていたため吹いたが、少なくとも上杉さん11人分くらいの動きはしているのである。

ちなみに上記の記事は、新聞社の腐敗について具体的に書いてある。警察の裏金を追及していって、その後で警察に仕返しのような事をされた時の新聞社の上司の対応が情けないというか卑劣というか保身に走ったもので、こういう事があると記者は警察の悪事を追及しようとしなくなるんだろうなあ記者も大変だなぁと思わずにいられないし、はんば様式美の世界に突入しつつある上杉氏の記者クラブ批判とは違う説得力がある。

モンダイは新聞が、官僚化しているんだ、前例主義なんだ、取材力が落ちているんだというのを、どうするの? という事だろうが、今のところその答えはない。


鉢呂氏

鉢呂氏の件が、どれくらい記者の官僚化、前例主義、取材力が落ちている事と重なるのか不明である。
上杉氏はメルマガ紙上では一足飛びに<「原子力国家」日本では、原子力ムラに異を唱える人物はそれが誰であろうと、結果として、悉く消されていく>という説を出しているが、その明確な根拠は出していない。
(今までの経緯からそれはそうなんだろうと同意はするが)

しかし鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言が虚報だったのは、確かだ。
なぜなら、ICレコーダーで確認できるから。
いったいどこをどうしたら、各紙いっせいに虚報なんか出来るのか、その仕組みが解らない。
記者の官僚化、前例主義、取材力の低下だけで説明できる印象がない。
(うーん、官僚化で説明できるか?)

一方、鉢呂吉雄(前)経済産業相(63)って人も解らない。
どうしてそう、素直に辞めてしまうのか。
「放射能つけちゃうぞ」発言があったとされる夜、鉢呂氏は野田首相と細野原発担当相と、東京電力福島第一原発の視察から戻ってきたばかりで、すでに疲労困憊だったという。さらには、現地は、「実は85マイクロシーベルトでございました」(by鉢呂氏)なのだ。(メルマガより)

85マイクロシーベルトたらとんでもない数値だ。本来日本は0.04マイクロで、事故後であっても東京なら0.1あれば高い範疇に入っているはずだ。鉢呂氏は、85マイクロという「被曝の恐怖」の中にあった。
そこから生還してすぐの「囲み懇談」。
以後のことは記事を読んでいただくとして(メルマガの方が良い記事だが、860円は誰にでも出せる金額ではないので、ダイアモンドその他でもいいかと思う)

すぐに辞めてしまったのは、死の街があまりにも悲惨すぎて心がくじけて、辞めてしまったのか。
それとも、マスコミの圧力が強大すぎてあっけなく屈してしまったのか。
それとも、経産省の官僚がとても手に負えない連中だから逃げ出したのか。
単にもともとへっぽこりんな根性なしなのか。
あるいは上杉さんがメルマガ内で書くとおり
ただ、あきれたことに、ここに至ってもなお、鉢呂氏自身も番記者を庇おうとする構造的な癒着の構造が窺える。もはや、日本において政治家と記者の関係は普通のそれではないのだ。

だからなのか。

さらには ヨミウリの記事 を見ると思うが、民主党内でも誰ひとり鉢呂氏をかばおうとしない。野田首相もだ。政党内ってのは仲間なんじゃないのか?

トータルに言って、鉢呂氏は被害者一方の人物ではない。

だからといって、新聞メディアでウソをばらまいていいはずがない。

わたしには何をどうすればいいのか解らないが、おそらく、ダイアモンドの記事の最後に書いてある事、

これが一番妥当なような気がする。


………鉢呂さん、がむばって!!



posted by sukima at 02:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | ジャーナリズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな大臣もうどうでもいい。それより早く東北の被災者を救え。
Posted by なし at 2011年10月16日 03:53
意思というものがなければ、神の意思か人の意思かも区別がつかない。
天災と人災の区別もつかない。
国がひっくりかえっても責任者は出てこない。

意思は未来時制の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には意思がない。

ボランティアは自由意思の人である。
意思のない社会のボランティア活動は強制労働に近いものになるのか。
意思のない社会では、政治家が政治屋になる。政治屋が政治家になる国である。
三流政治は治らない。

とにかく、役に立つ人選びが盛んである。
役に立つことは、目先・手先に関する事柄である。
それ以外の次元に関する事柄に話を集中させることができない。

未来社会 (理想社会) を建設する話は何所へやら。
先のみえない未来に関する不安は、解消さける見通しが立たない。
目先・手先の事柄にとらわれすぎているので、刹那は永遠のごとくに見えている。
だから、我々はどこにも行かない。行く目算が立たない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812





Posted by noga at 2011年10月16日 06:31
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