無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~

無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~

 これは数日前の夜(1月31日(日) 午後9時00分~9時58分)にテレビをつけていたら始まったのでそのまま引き込まれて見てしまったNHKスペシャル。

 死後幾日も経過してから遺体で発見される、という死に方の人が、ここ数年で急激に増えていること、また、これからもさらに拡大することが予想されることをテーマにした内容。自分も孤独死するのではないかと考える人が、どう予備的な行動をしているか、今現在どういう心情でいるかを、男性、女性とりまぜ数人に取材している。
 その一方、遺体で発見され身元を特定できないような人の遺骨がどう処理されるのか、生前の荷物がどう扱われるのか、素朴な疑問への解も効率よく盛り込みつつ、わずかの手がかりから氏名や故郷やかつての職場を特定し、生きている間どのような人物だったのか、その像を浮かび上がらせていく。

 浮かび上がらせてといっても、その胸のうちを、こうだったろうああだったろうと勝手に憶測する要素はほとんどなく(以前のNHKにはそういうところがあった記憶が)、孤独でみじめな生涯といった意味づけをほどこしていないところがよかった。そんな嫌らしい意図を持たなくても、充分に胸にズンときたし、また、映像も光の当たり具合やアングルなどに、映画のような柔らかい陰影があってささやかな演出として利いていた。

番組中に出て来た元看護師さん このような死が増えていることの原因を番組は「地縁・血縁・社縁」をなくした現代の暮らしにあるとする。が、原因追求自体はメインのテーマではなく、取材対象となった幾人かの人々がメインだ。中でも特に印象的だったのは、元看護師で現在70代の女性。親の介護をしながら仕事にまい進してきて、結婚する機会を逸してしまったという。生涯の宝物は、現役時代に患者さんからもらったぬいぐるみで、包んでいるビニールを年に一回交換しながら、長年大事にとっているという。彼女はすでに永代供養の共同墓地的な一角を予約済みだ。彼女は普通の墓石を見ながら「ああいうひとりの墓はいやなの」と言う。そして「あちらにいってまでひとりぽっちはいや。それにあちらにいっても看護の仕事をしたい」と。彼女の日々の暮らしぶりがどういうものなのか、完全に誰とも交際のない毎日なのかは分からないけれど、もしもそうなら、どこかの場所へいって何か喋らないと(自分の経験とか)もったいない、とわたしは思った。

 その女性の他には、元企業戦士+糖尿+うつ病罹患経験+バツ一+子あるけど疎遠、と図式化しては悪いけど、そういう苦しい身の上の男性も出て来た。定年して間もないようで、それほど高齢ではないものの若干身体機能の低下があるような動きで表情も固い。そういう人はなかなかと心の奥底をさらさないものだろうと思えたけれど、かつて銚子に赴いたときに出会った老夫婦の話をし始めたあたりは、涙涙がとまらなくなるほどで、今思い出してももう泣けてくる。(尺八を吹いていたそうだ。その演奏がよほどよかったのか、夫婦がよほど慈しみに満ちて見えたのか、詳しくは語らない唐突さで、取材の人も無理して聞きだそうとしないため詳細は不明であるけれど、語りだして泣いているのである)。「ああいう風に、自分も生きたかった」と、泣くのである。

 この方もこういう番組に出演したことをきっかけに、もっと誰かと話ができるといいと思う。
 尺八なんか吹けようが吹けまいが関係ない。誰かと話すこと、そういう場所があることが、一番ココロを活性化するし楽しいし救いをもたらすと思う。(最悪、ブログで表現、でもいいけどもあれは向き不向きがあるし、PCを揃えたりと敷居が高いし、声で話せるのだからそっちのがいいと思う)
 この方は、孤独死を絶対避けたいため、早々と老人ホームに入居しているのだけど、あまり人と交流があるようには見受けられなかった。

 そういうことのできるオープンな場所があれば、と思うのだけど。
 けっして強要ではなく集えて、話せる場所が。

☆ ☆ 

 お二方は、もちろんまだ健在の方だけど
 どこかミステリじみても来るのが、遺体でみつかった人。
 比較的共通しているのは、家族がいないわけではないこと。いても、疎遠であること。
 つまり、家族の絆が崩壊している、ということなんだろう。
 どうして崩壊してしまうんだろう。考えられるひとつは、地元に職がないなど、故郷を離れたくないのに離れざる得なかった場合。次は、親の価値観と衝突するなど、親がうっとおしくて離れた場合と色々あるかと思う。

 番組は、拙速に「解決策」を提示しなかったところが、逆に信用できる。もとより「孤独死」や「無縁死」自体は、殺人や泥棒のような犯罪、つまりその被害にあいたくないと断言できる、<明らかな問題>ではないのだ。また、ひとりでひっそりと死んでいく人を、そうと知っていて通り過ぎていくことも、明々白々に否定すべきことかどうかは、まだ確定してはいない。

 その段階から、それぞれが検証しなくては。
 (孤独死するのと、生活に好ましくない介入が入るのと、どっちが嫌かは、検証されないと)

 「社縁」にいたっては終身雇用の時代ではなくなったのだから、もはや仕方がないでしょう。

 唯一地縁だけが、ゆるやかに人と人をつなぐことが出来るのじゃないか? と希望を持つ。
 ただ、旧来型の古い人間関係のルールが頭にあると、なかなかと人と関わることも面倒になってしまう。

☆ ☆ 

 いつか続く。

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