悲しみを聴く石 / アティーク・ラヒーミー

悲しみを聴く石あなたには、誰にも言えない秘密があるだろうか?

考えてみれば、秘密にも色々な種類がある。
子どもの頃の万引き歴のような、経験としてはよくある事なんだけど、口に出すには憚られること。
性犯罪の被害のような、自分が悪いのではなくても、どうしても言えないと思ってしまうもの。


今、「誰にも言えない秘密」で検索したら、セクシャルな体験や話題が秘密とされている事が多いのが分かった。これは、秘密として多いというより、興味を持って知りたがる人が多いためアクセス、もしくはリンクが多いのでSEO的に上位に結果が出ている、のかもしれない。
実際には誰にも言えない秘密は、必ずしもセクシャルな事柄ばかりではなく、何かしら人の差別感情を刺激するもの、自分の沽券やプライドに関わること、ちょっとしたズルイ行為、ちょっとした性癖…などなど

秘密の種類として、口に出しては言えないけど文章に書いてなら記せる、というのもある。
また、ある人には言えないけど、他のある人には言える、という場合がある。

SEO的にトップに来ている「誰にも言えない秘密」の掲示板も、誰にも言えないけれど、そういう掲示板になら書ける(言える)、という感じ。

かくいうわたしにも何個か秘密はある。
以前、「ネットでも匿名ではなく実名で書こう!!」という、実に興味深い提案が持ち上がっていたことがあった。この方法は使いようによってメリットは多くあると思われる。

たとえば、ネット上でA氏が表現する内容を、A氏の仕事上の付き合い含む実生活の知り合いが、A氏と分かって見る場合、A氏への信頼や理解もより深まると思えるのだ。逆に、デメリットとして考えられるのは、もはやA氏はA氏の仕事上の付き合い含む実生活の知り合いと摩擦が起きる危険のある内容、もしくはA氏のイメージをマイナス方向に覆すオソレのあることは表現しづらいし、A氏の知人の心象を害する、もしくは害する方へ誤解されかねない内容は、表現しづらくなるだろう。

それでもA氏は発展的かつ前向きな人間なので、摩擦を理解へ変える努力を惜しまないため、実際それをやり遂げるだろうが。

それに、それでもまだ「違う自分」を出したかったら、2ちゃんねるとか、「増田」とかいうやつに書けばいいので、さほど損害はないかもだ。

わたしの場合は上記メリットが特別にない上に、デメリット面を考えているとものを書くのが面倒になるのであえて本名ではない、ということで、別に秘密にしているわけではない。それに、匿名だからといって何でも書けるわけではなく、気をつかいまくって書けないことの方が多い。これは、どなたもそうではないだろうか?

当然、自分の秘密など、こんな場所で明かすわけもない。


明かすわけはないが、しかし、決して「言えない」わけではないし、まして「書けない」わけではない。わたしは、自分の秘密を、実際に書き出したら抵抗が生じて難儀するにしろ、語ろうと思えばその多くを語れる。

それは、タブーが少ない(かもしれない)日本に生まれたから、ということもある。
それと、年が経つにつれ、自分の経験が自分にだけ起きた特殊なことではない場合が多いと知ることで、自分や他人の経験との相関関係から割り出した位置づけが出来るようになり、無駄な自意識から解放されたから。
また総合的にいって、わたしの経験はストレス負荷値がさほど大きくはなく、そのため、一定以上の精神の防御機構が働かずにすんでいることも、挙げられる。


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以上、秘密を抱えることについて少しだけ考えてみた。

『悲しみを聴く石』が、苦しみ苦しみ苦しみながら、秘密を明かしていく話だったからだ。
作者は、アフガニスタンからフランスへ亡命した、男性のアフガニスタン人の作家。(てっきり女性かと思ったが男性だった)

読んだ動機は、アフガニスタンに生きる(特に女性)とは、どういう気持でいるものか知りたかったから。もともとこの作家、フランスに亡命できるくらいであるし、学生時代からフランス語を学んでいるくらいなので、アフガニスタンで稀有なくらいの富裕層と思われるため、どこまでアテになるか解らないという、疑心暗鬼もあったわけであるけれど、ともかく読んでみた。

読んだら想像以上に、アフガニスタンに生きることは、イヤなことだった。

どうイヤかと一番解りやすい事例で言うと、夜中にいきなり人が入ってくる。
夜盗というのか、なんだろう。
当たり前のように入ってきて、それで警察を呼ぶ、などという発想自体がない。

夜になると、銃撃戦も始まる。
一晩中続き、殺しあいをする。
それは「銃が飽きる」まで続く。

しかしそれは本作の背景事情で、本題は、彼女の秘密の方にある。
と同時に、秘密を語る、という行為の方にある。
さらに解説によれば、そのような苛酷な状況にあって、どのように彼女(たち)が、強さを発揮し生きているのか、ということにある。


次にイヤなのは、「コーラン」だ。
病気の治療にも、コーランの一説を読み上げつつ手をさする、なんて行為をする。
そんな医療、馬鹿馬鹿しい。
などと言い切ってしまっては、価値観の押し付けになるわけで、だから、彼女がそうしながら何を思うのかを、読む。

他にイヤなのは、父親。
男。

といっても、最初からイヤな存在なのではなく、「女を知った」後に変質していくようだ。それに、父親だから全部イヤなのではなく、複数のタイプの男性、そして父親が出て来るので、イスラム圏イコール女性を男性が抑圧している、という図式にばかり沿っているわけではない。なので、そんな状況でも女が男を愛する方法、どう愛するのか、ということが描かれる。

正直苦痛である。
そういう愛しかたはわたしには理解できないし苦痛だし、イヤだ。
しかし、だからといってムスリムの男女の関係が、大きく荒唐無稽なわけでもないような気もしてくる。それに、どこか性的にははるかに大胆で自由な部分もある…

そんなだけど、少なくとも、一人の女性(男性もかな)が抱える秘密の層の分厚さに関しては、日本や欧米の比じゃないと思う。
秘密を明かし明かししてその果てに、小説は劇的なラストを迎える。
何が起きたのかにわかに理解できない終章なのだけど、ここをありのまま捉えることで、ラストへいたるまで読んできた小説の受け止めもまた、変わってくるのかもしれない…
創作のテクニックではなく、このような結末にピントを合わす小説なのかもしれない…

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