夜想曲集3

≪感想文連載第3回≫

サラ・ボーン「降っても晴れても」
【参照資料】
出て来る楽器:唯一この短編の登場人物だけがミュージシャンでも志望でもないため特に出てこない 場所:登場人物3人が卒業したのはイギリス南部の大学。話の舞台はロンドン 音楽と人:アメリカの古い「ブロードウェイソング」、レイ・チャールズ、サラ・ボーン他 曲:「降っても晴れても」「4月のパリ」他


数日前からどのあたりから綴(つづ)ろうかと迷っている。ドタバタコメディ仕立で可笑しくて笑えるからそれだけで十分なんだけども、あちこちに見所があるのだ。

その中でちょうど彼ら3人の年齢と、わたしのそれが同じだから、あまり年の話しはしたくないけどこの偶然を生かそうかと思う。

チャールズ&エミリ夫妻と、ふたりの親友であるレイは同じ大学を出た47歳。
レイってのは、エミリ夫婦に言わせるとどうしようもなく暢気でお人よしでダメダメ男で、今だにまともな定職、まともな住居をもっていなくて、結婚もしないまま47歳になってしまって、どうするのよこれから??という立場にいる男子。

一方、チャールズ&エミリ夫妻の方もレイを罵倒することに関してだけは気が合っているものの、他は危機状態にあって、いつまでたっても「トップ」になれないチャールズにエミリは絶望して、それがもとで喧嘩が絶えなくてエミリはすっかり肥満して顔なんかほとんどブルドッグになってしまった。このブルドッグというの、夫妻に対して常に好意的なお人よしであるレイの感想なのだから、そうとうに酷いことになっているのだろう。じっさい、この年齢になると顔の皮膚のたるみ、その中の脂肪層の重力にともなっての下降は、目も当てられない醜さだ同年齢のわたしにはよーくわかる。どんなに心が瑞々しく若いつもりでいても、他人の目には決してそうは見えないのが悲しいところだ。

そんな47歳のレイ。彼の職業は、世界中で英語を教えることだ。
今はスペインで教えている。
英語教師を必要とする国はいくらでもあるし、レイはイギリスの大学卒であるから、望めば職自体はいくらでもあるはずだ。とはいってもこれがかなり厳しそうで、ほとんどジプシーみたいな暮らし。作中にそうと書いてあるわけではないが、この仕事の最大のネックは母国に帰れないことだろう。なにせ、母国は英語の国であるから英語教師を必要としていない。仮に必要だとしても、その相手は移民とかの貧困層だろうから、どの程度職として成り立つものか。そう考えると、世界の富裕層のほとんどは英語のネイティブか、堪能者なのではないだろうか。

だからこそ日本も世界標準になるために英語教育を実用的にして………なんて考えているわけで、ここらへん梅田モチモチに言われなくても、20年も30年も前から言われているわけだけども、なかなかと普及している気配がないのは、英語を身につけて何する、というイメージが沸いて来ないからかもしれない。もっともっと日本人も、当たり前に世界(欧米に限らず)に出て行くべきなんだ………!!
  なんて、ちょっと考えてみたり。

本作は短編だから細かいことは書いておらず、読者の想像にいろいろと任せてあるのも、読む醍醐味のひとつだ。


それでも、レイ自身は、この仕事を苦痛に思っている様子はない。自分の年齢に関しても「まだ47歳だよ」と考えている。
それに対してエミリは、「もう47歳なのよ!!」と怒っている。

レイが求めていること、考えていることは、実のところよく分からないのであるが、少なくともエミリに対してほのかな恋心を持っている。親友チャールズの奥さんではあるし、親友から奪おうなんてゆめゆめ思っていないけれど、顔がブルドッグじみてしまった今となってもその気持ちはうせていない。そのことは、最後のダンスシーン(本書の表紙のシーン)で察することができるのだ。

あれほどさんざんな事を言われていながら!!

あなたはマゾなの??と尋ねたくなるが、そうではなく、音楽がふたりをつないでいることが大きい。エミリとレイは、大学時代に同じ音楽を嗜好するものとして奇蹟(本書にそうある)のようにして出会った仲で、当時の大学生はプログレかクラシックかどっちかしか聴かないくらいに単純に両極化していた。その中でわざわざ「アメリカの古いブロードウェイソング」(このジャンル、どうやら広くジャズを含むものらしい)を聴いている、というしごくマイナーな人種だったのがこのふたりなのだ。

エミリはここらの音楽を深く愛し生涯の友としているにもかかわらず、同様の嗜好を夫と分かつわけではなく、その相手は夫の親友レイなのだ。夫は、男として将来を見込める男だったからこそ恋愛をし結婚しているが、本来のたましいの領域を分け合える相手ではない。ここらへんが本当にややこしくこんがらがっていて、そんなならレイと結婚すれば良かったじゃん!!とか思うわけであるが、このあたりの人生の複雑さがギャグのテイストの中で上手に描かれている。

そして、レイのかわらぬ恋心を示す最後のダンスシーンに、じーんとくるのである。


☆ ☆ ☆ ☆ 


…読後、その最後のダンスシーンで流れたサラ・ボーンなる往年のジャズシンガーってどんな人なんだろうと思って、検索して調べてみた。

lastfm
わずか30秒であるけれど、なんか凄い。
他にもたくさん試聴できるので、どれもこれも聴いてみた。

アマゾン試聴

サラ・ボーン(Sarah Vaughan)を讃える言葉はたくさんwebに見られる。
その通りすばらしい歌声だ。豊かな声量でありながら、艶っぽくかすれるのが堪らなくいい。ふんわりと空気全体が膨らむような歌い方だから、何も鳴っていない時間にも声が響いてくるような気がする。悲しみ、が滲んでも知的な距離があって惑溺しない。それでいて感情をゆさぶる。人生そのものといえるような深いものが、ゆっくりと大河のように流れる。


と、同時に。
これ聴いたら、あぜんとした。
これだけの歌を、男女が一緒に聴いていてその気にならないって、どんだけ非モテな男なんだレイは????? カバでも色男に見えてくるような色っぽい曲なのに。
笑えたね。超うけた。シュールといってもいい。
ダメだこりゃレイ。
いや、というかエミリという女の、上昇志向に凝り固まった頑迷さなのかもしれない。たぶん両方だ。


ここらへんカズオ、今はどんな古い音楽でもネットで聴けるし買えることを見越して、読者に仕掛けているのではなかろうか。
でもって、以下の歌詞(の日本語訳)を見ながら思う。

このままでいくと、レイは生涯何も手に入らないかもしれない。
それでも、何も後悔はないのだろう。
これらの音楽を聴けるなら、それでいいのかもだ。
それが「あなたがわたしの心にして」しまったものだから。



April in Paris


I never knew the charm of spring
I never met it face to face
I never new my heart could sing
I never missed a warm embrace
Till April in Paris, chestnuts in blossom

Holiday tables under the trees
April in Paris, this is a feeling
That no one can ever reprise

I never knew the charm of spring
I never met it face to face
I never new my heart could sing
I never missed a warm embrace

Till April in Paris
Whom can I run to
What have you done to my heart




※さまざまなバージョンがあるため、本作中のバージョンはこれではない模様。作中のは8分をこえる長いやつ

※ううん。たいしたことない

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