この憂鬱なる児童ポルノ、雑感

最近、MIAUという言葉をよく見かける。
たとえば
【MiAUの眼光紙背】「陵辱ゲーム規制」とはプロパガンダだ!

もしくは
MIAU :児童ポルノ禁止法改正案緊急声明についての解説

といった具合。

どちらも、表現に規制をかけてくる権力に対し断固としてNoを突きつける、という姿勢を貫くもので、それはそれで立派だし必要なことだとは思う。
思うけど、その情熱と同じくらいの真摯さでもって、大人の性欲の犠牲になっている子供を救おうと真剣に考えたらどうなんだ? とも、思わないではいられない。

後者の「解説」では最後の最後に「それよりも、被害児童の保護を充実させる施策のほうが、はるかに重要だと私たちは考えます。」とあるものの、取ってつけたように感じられる。

こうなると、そんなに今持っているお宝水着写真を死守したいのか、とか、そんなに18歳以下の可能性のある女子のH画像を集めるのをソッとしておいてもらいたいのかと、いじましくなり、白けた気分になろうってものだ。


MIAU以外だと
児童ポルノ禁止法改正に狂奔する議員達の妄念 どんな創作物にも発禁処分が下せるようになる危険性JANJAN

というのもあり、こっちもこっちでしずかちゃんの入浴シーン死守にかけたリキの入り方がまたすごい。

しずかちゃんの入浴シーンに国家権力が規制をかけるような、遅れに遅れた暗黒時代のようなイランみたいな国に日本がなってほしくないのは言うまでもないことだ。そんなことは、当然わたしもそう思っている。

だがだからって何だよ、しずかちゃんなんかどうでもいいよ。という現実もあるのではないのか。

彼ら(MIAU、JANJAN)がことさら、規制を推進しているアグネスおよび「日本ユニセフ」を敵対視する理由は、「日本ユニセフ」とは実は「国連ユニセフ(UNICEF)」とは直接関係のない別の組織であること、また、「日本ユニセフ」の広告塔アグネスが特定宗教団体に入れ込んでいる証拠が多々挙がっていること、などがある。

ということなら、わたしも宗教団体全部がキライであるから、「日本ユニセフ」もキライだ。

キライだがしかし、実際に性の対象物として利用されている子供を救済しようと真剣に考える機関が他にないなら、「日本ユニセフ」だろうが何だろうが、しょうがないのじゃないか。

ただ「日本ユニセフ」が、表現を規制すれば現実の子供が犠牲にならなくなる、と考えているのなら、それは関係ない気はする。どっちにしろもうほとんどの人の、子供を視る目線は、昔のような無邪気なものではなく、性的に視る目線の影とともにある。この後は、この影をどう処理しようかという課題が残るものの、それは、表現を規制したからどうなるものでもない。

それとは別に、あまりにも非道い表現を規制するかしないかというのは、子供の犠牲を防ぐという観点とは別に考えるべきかとは思う。規制はないに越したことはないが、本当に完全放置でいいのかどうかは別途考えた方がいい気はする。


もともとまんがに限って言えば、1947年、ストーリー漫画の発明者手塚治虫の描いた『新寶島』から約35年の月日を経て(だからだいたい1982年前後)、漫画という表現に込めた思いのエネルギーは臨界点を迎え、破裂したんだと、わたしは勝手に思っている。笑いに関しての破裂としてはしりあがり寿のギャグ漫画、常識や身体感覚や恐怖としては大友克洋の短編、男のエロ方向はわたしは詳しくはないが、少なくとも少女漫画<->やおい系に関しては、間接表現だったものが辛抱も我慢もきかず直接表現になって、しかもアンダーグラウンドから地上へと。

よしあしの問題ではなく、そんな風に漫画という表現は成熟した、というあたりだろうか。しかしそのことは漫画の終わりだったわけではなく、性的表現物に限っても、まだまだ続き今も続いている。その中には表現としての実りの部分も多いと思う。が、それはそれとしても、近年に入ってからはどうだろう? 表現というより、それしか金にならないからひたすらエスカレートしたエロを量産という一面もあるのではないだろうか。

こうなると、表現の問題というより経済問題。金融危機と同様、なんらかの介入があったとしてもそれほど不思議ではないのではないだろうか。


金のためにやっている。という一面がものすごく多いなら。



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「陵辱ゲーム」に関しては、わたしはやったことないから分からない。でも、MIAUの理屈もなんだか変てこだと思う。
「プロパガンダ」って、それ自体はいいものでも悪いものでもないんじゃないのかなあ。
政府や巨大マスコミが、その大きな権力を利用して特定の思想を広める一方他のは排除するなら、それは悪しきプロパガンダだろうけど、MIAUと同程度のグループならひとつの意見の主張にすぎないし。しかもこの論の真ん中へんには<人権団体も、自らの力ではプロパガンダを打てない。必ずメディアを使うことになる。そしてマスメディアには「アジェンダセッティング機能」と呼ぶ「問題点を社会に周知させる力」があると考えられている。人権団体のプロパガンダをを無批判、検証なしに取り上げることは歪んだ世論誘導につながりかねない。>とあり、マスコミが自分の判断で、特定の主張は取り上げないことを推奨しているのだけどどうなんだろう? へたな「アジェンダセッティング機能」を行使されて真っ先に抹消されるのMIAUの主張じゃないのか。そんな判断は、マスコミはする必要はまったくないと、思う。

さらにまたMIAUが言う<「性犯罪という被害が発生することではなく、女性をレイプするという価値観がそもそもダメなのだ」と主張しているということだ。>

ってのも意味フ。その価値観がダメで、何がダメ、なの????

あんた、何が言いたいの? ほんとーーに、ぶち切れて差し上げましょうか?

ライブドアニュースにミジンも「アジェンダセッティング機能」とかいうやつがないのをいいことに言いたい放題の狼藉三昧の無礼千万。誰か打ち首にしてほしい。

だいたいレイプって性的な搾取というよりも、暴力であり、犯罪なんじゃないの?

性的な搾取っていうのは、ものすごく安く売春させられることとか、そういうのじゃないのか。


そりゃあ、レイプという事態が、往々にしてポルノグラフィックなドリームとして機能することまで否定しないし、そういう小説や漫画や映画などの表現全般をすべて発禁にしろ、とは思わない。(A)

それに、<「エロゲーがレイプを誘発する」>というのも多分ない。

ただ(A)に関して、ゲーム、という自分がプレイしていくものの場合、小説等と同じに考えていいのか。
あるいは、「陵辱」の陰惨さの度合い。
あるいは、「陵辱」の対象にある対象人物の年齢が明らかに幼い場合はどうか、

と、個別に見なくては判断がつかない。


だからこそ、実際にPLAYした者の判断が必要なんだけど、ゲームの場合、そのほかの表現物と違っていかにも厄介。

現代のてくのろじーってやつは。
テクノロジーとエロ、という観点から誰か再考してくんないかな。

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