さえない日記。もしくは悲痛なる提言

この前職場環境が変わって、それにともなって色々と人間関係も変わり、またまたまたまた憂鬱なことが増えた。

以前も書いた通り、人とのつながりに物を使うのはやめてほしい。


そりゃあ、ごく親しい間柄ならば、お誕生日や何かのお祝いにあげたりもらったりするのは、お互いに嬉しいからいい。さほど親しくなくても、結婚とか出産とかの人生上の滅多にないビッグイベントにちょっと贈るのはありだろう。また、お宅にお邪魔する時の手土産、旅行に行った時のちょっとしたお土産のような、上げる方も嬉しい、という物で、しかもそうそう滅多にあることでない物なら、それもいいだろう。

しかし、単なる人間関係つくりに日常的に行うのは駄目だと思う。


最近、テレビのトーク番組の影響で、ああいう風な会話や、ああいう風ななごやかな人間関係を作れないと人間失格みたいな風潮が生まれているのではないかと、激しく危惧する。

人と人の関係は、そうそうスムースにいくわけではない。なかなか話が通じなかったり、つっかえたりつまづいたりする。育った文化風土が違うから、話していても、同じ日本語とは思えないくらいに意味の通じないことも珍しくない。相手の使う言葉の特徴や、相手の思考風景をつかむのに時間がかかる。その時間が経ったあとも、トーク番組のようには楽しく会話できないことも多い。

けど、それでいいのだ。

特殊に恋愛関係なり肉体関係にもちこむのではない限り、とりあえず、相手との回路は会話しかない。
その回路を閉ざさないようにしようという『気持ち』が大事で、必ずしもうまく話せなかったとしても、そのことで、相手が自分を嫌っているとか、逆に、自分が嫌っていると思われるのじゃないかとか、ややこしいことを考えたあげくに、物(食品ふくむ)で、好意を示そうとか、相手とつながろうとするのは、やめた方が絶対にいい。
絶対に。


ここらへん、「そんなに深刻に考えないで、気楽にやりとりすればいいんじゃない」なんて考えは、つくづくとやめてほしい。わたしは、気楽な関係をそうそう簡単に作ることはできない。これは、他の人の多くもそうだと思う。そうなのに、「気楽」を装おうとするからややこしくなる。

(ここらへん、地方によって物のやり取りが慣例化しているとか、親から代々受け継ぐマニュアルがあるとかなら、それにのっとる事でみなが了解しているなら分かりやすいから、それはそれでいいかもしれないが、そういうのがない場合の話だ。)

関係作りはまず会話から。
喋るのが大の苦手のわたしでも、下手な物貰いよりはずっと会話のがいいから、声を大にして言いたいのである!!



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