芸術起業論 / 村上隆

芸術起業論 / 村上隆
404 blog not foundが書評していた本。出版は2006年。

日本人の中でたぶん今一番有名な「現代アーティスト」である「村上隆」が、芸術を起業という観点からとらえ、万人の目からウロコを落としまくる勢いで二年の歳月をかけて執筆した、エキサイティングかつ実用的な戦略本。

わたしの場合、起業はさほどでもないがお金に興味があり、ついでに芸術にも興味があるので、404で見たときはさっそく注文して読んだ。

改行の多い、読みやすい文章であるから、どんどん読み進みすぐに読み終わった。また、内容も以上のようなものであるから、本来なら感想文を書きたくて堪らなくなるタイプの本なので、「さあ、レビュウを書こう!だってアイアム撫呂臥ーだし!」と張り切った。

が、どういうわけかイマイチ乗り気になれず、数日が経過してしまった。

やっぱもう年なのかな… なんて弱気になりかけた頃、ふと思ったのは、以下のことだ。
著者にとってこの本は、本業の芸術の副産物でありこそすれ、本来の仕事、本来の作品ではない。本来の作品は、立体だったり平面だったり、大きさもさまざまであるし、飾られる場所も色々だし必ずしも個人の作業ではなくこの著書によれば、ヒエラルキのはっきりした集団による共同作業であることが多く、また、部下(というか門下)の作品指導(というかシゴキ)も仕事のうちのようなので、個人の芸術活動ばかりが本来の仕事、というわけではないが、広くまとめて言えば、村上隆の本来の作品とは、アート作品であり芸術であり、美のはずである。


ところが、こっちはそれを見ていない。数枚の写真でなら見たが実物は見ていない。
本物を見ての感想ならば、そっりゃあ色々とやる気も湧いてこようってもんだが、副産物の書籍ではいくらすごい論が書いてあっても「なんとも言えないよなぁ」って感じなのだ。

実際、紹介元の404氏だって、「そんな著者は、私にとっては美しさはさておき実にかっこいい存在」としつつも「著者の作品の美しさが皆目わからない」と言っちゃってるのだから、結局別に村上隆なんて良くないんじゃないって感じだ。まぁそんなだから、404ブログノットファウンドにしてはエッジの甘い若干自信喪失ぎみの内容になっているところがご愛嬌で、ルイ・ヴィトンの製品には「ロゴを全て塗りつぶしてしまったとしても、バッグならバッグの、スカーフならスカーフとしての機能は残る」と乱暴な事を言い出し、いくらなんでもそんなの使いたい人はいないだろうって話しで、だったら安い中国製であってもちゃんとデザインされたものを使うのであり、事実巷で売られているバッグの多くはそれなのだ。

かくゆうわたしはブランド物など一個も持っていないから使用者の心理に詳しくないとはいえ、バッグやスカーフの「機能」とは、404ブログノットファウンドが言うところの「機能」を超えた範囲まで含み(というかもはやそっちがメイン)、そうでないなら、スーパーのレジ袋だってモノは入るのだから、何もバッグなんか買う必要はないのである。

たぶん404 blog not found氏も、今後ニューヨークの大富豪なみのお金持ちになれば、たくさんのアート作品を買うようになり、村上隆のアートを買う気持ちが分かるだろう。早くそうなってほしいものである。


冗談ではなく、この本には、非金持ちには想像もつかなかった、大富豪の心理が洞察されていて、とても興味深いのである。芸術を買うのは富豪であるから、ここらの洞察はきわめて重要なファクターとなる。


芸術を買うのはお金持ちです。
ビルゲイツはダヴィンチを持っています。
栄耀栄華を極めた経営者には、ほとんどの問題は金で解決できるものなのでしょう。
人の感情もわかったような気になる……そんな時にこそ人間は芸術が気になるようです。なぜならば「人」こそ、そしてその「心」の内実こそ、蜃気楼のように手に入れたと思った途端逃げてゆくものだ、ということを彼らは知っているからです。


他にも色々と書いてあり、金持ちは相当にキワドイ物も所望するようで、それに付き合うのは並みの神経では無理で、村上氏はとんでもなく頑張ったようだ。


ところで村上隆のアートを見たことのないわたしも、写真でならいくつか見た。
最初に見たのは昨年の5月、ニューヨークにて16億円で落札されたと話題になった「My Lonesome Cowboy」だ。
その時の感想は、「うえー何これ悪趣味。やだわぁ恥ずかしい。こんなの見なかったことにしよう」というものだった。
ところが今は不思議なもので、この本を読んだがゆえに違って見えている。

以前は、そのものの通り、勃起した男性器を握りしめ精液を飛ばしているアニメチックな裸体の男、という「それ以外にどう見えるっつうの」という、目に見えたその通りのものだったのに、今は、美術史の中で位置づけられることによる「革命性」のようなもの、あるいは世界の中で日本が誇示してみせた生命力のようなもの、精液は精液というよりはもっと広く高く聖性を帯びたものと化し、ポップな軽さを放ちながらも、なんとなくありがたいって物に見えてきたのだ。

本書の文中には「My Lonesome Cowboy」を解説する事柄は皆無なのに、この本全体の力、言葉の力が、そこまで見方を変えてしまった、ということだ。そしてこの本に書いてある「起業」の内容であるが、言葉の力を借りて作品の価値を上げることを、どんどんと推奨している。日本人の「純粋」な芸術家だったら潔しとしない方法だろうし、日本では「純粋」な魂や感情がぶつけられている無解説なものが「芸術」とみなされがちであるが、そうじゃないよと。
それを証明するがごとく、この本自体が村上隆という人物および作品のこの上ないプレゼンテーションとなっているのだ。


懸念の種になる気になることも書いてあった。
「勝ちすぎればルールが変わる」というのだ。
ルールは、芸術を買う大富豪と、芸術の絶対評価を下す批評家が、どういう兼ね合いかは知らないが動かしている風だ。
その時に、「ずるい」と怒るのではなく、ルールの変化に対応する柔軟性が必要だというのだから大変だ。
出版されたのは2006年。今は、2008年終盤の経済界の大転換の後であるから、また状況は変わっているかもしれない。


話しはいきなり飛ぶけど、わたしは部屋にたくさん絵を飾りたい。

わたしの芸術への興味はとてもセコクて、部屋に飾りたいってレベルだ。
そりゃあ、ダヴィンチなんかは買えっこないから、ミュージアムで見るしかないけど。
だから、やっぱ金持ちはいいなぁと思ってしまう。
いっそ自分で描いてしまおうかと思っているくらいだ。
なんつうの、それは芸術ではないと言い切れる代物だけど、絵があってほしいのだ。
わたしの家は、実用ですべて満たされているけれど、実用以外がほしい。
それもたくさん。ちょっとだとさみしいから。


アーティスト、絵描き、芸術家、これからの時代、いくらでも活躍の場はあると思う。
いい絵があれば、わたし程度の収入のものでも、いつでも10万円くらいは出す用意がある。本書も参考にしつつ、世界を視野に入れつつ、大いにがんばってほしい!!
(もっとも、額と画材代で10万はすぐにいきそうだから、金はかかるんだよねぇ)




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