崖の上のポニョ / 映画館で観た映画

今wikipediaで見たら、カンブリア紀とかジュラ紀とかいう時代区分って約5億年前から始まっていて、それより以前についてはあまり説明がない。

「地球の始まり」というページには、惑星形成の理論に基づいた地球の始まりの時期が想像されている。それによると地球にはごく初期の頃から海、大気、コアマントルが存在していたという。子どもの頃に見た図鑑には、原初の地球の想像として、海に激しい雨と雷が降り注ぎ、それが幾晩も幾晩も続き、ことによれば何億年も続き、奇跡のように(というかたまたま)何かが発生した。その何かが、のちの生命へとつながっていく何かである。推論の域ではあるが、何かとは、「たんぱく質の構成成分であるアミノ酸」や「核を構成するヌクレオチド」であろうと言われている。
崖の上のポニョの舞台となる海辺の町は、激しい嵐に合い(ポニョの父親の魔法によってだったかちょっと失念)、デボン紀の海の下に沈む。デボン紀がどういう時期かをウィキペディアで調べると、

約4億2000万年前に、複数の陸塊同士が衝突したことにより誕生した巨大な山脈を有した大陸が誕生し、赤道直下に存在していた[1]。この山脈が、大気の流れを大きく遮ることにより、恒常的な降雨を周辺地域にもたらした。これにより、長大な河川がその大陸に出現するようになり、その河川に沿って動植物が大陸内部まで活動範囲を拡げていった。

■森林の誕生

植物の陸棲化は、シルル紀には開始していたが、デボン紀にはシダ状の葉を持つ樹木状の植物アーキオプテリス(Archaeopteris)がその河川に沿って植生域を拡げ、最古の森林を形成していった。この森林の拡大にしたがい、湿地帯も同時に形成されていった。この河川と森林、そして湿地帯の存在が、後述する昆虫類や硬骨魚類、さらには両生類の進化をうながした。

■海洋環境

海洋では、河川から流れてくる栄養もあり、コケムシやサンゴが大規模なコロニーを形成していった。これに腕足類やウミユリ、三葉虫や甲殻類、直角殻のオウムガイが生息していた。アンモナイトもこの時代に誕生した。この豊かな海の時代に、板皮類などの古いタイプの魚類が繁栄を極めていた。サメなどの軟骨魚類もこの時代の海に出現した。

■生物の進化

◆硬骨魚類の進化と両生類の出現

現世の大部分が属する硬骨魚類も、前述の河川域で棘魚類から分岐し、進化したと考えられている。[2]河川があったとはいえ、現在の熱帯地方でもそうであるように、その大陸内部の環境には、乾季も存在した[3]。そういった水中の酸素濃度の低い環境や、湿地帯でも生息できるように、ハイギョやシーラカンスといった肺を持った肉鰭類が誕生した。さらにデボン紀後期には、ハイギョ類のユーステノプテロンかその近接した種から、アカントステガやイクチオステガといった両生類が誕生した[4]。

ちなみに、アジやタイなど現世の大部分の硬骨魚類が属する条鰭類の真骨類には肺がなく、遊泳力向上のために浮き袋に変化している。しかしデボン紀に出現した、最古の条鰭類で現生するポリプテルス目や、同じく原始的な条鰭類であるガー目、アミア目がそうであるように、デボン紀の硬骨魚類は、条鰭類であっても肺があり、空気呼吸をしていたと思われる。

◆昆虫の出現

脊椎動物よりも先に、節足動物の陸棲化が進んでいた。シルル紀には既に多足類(ダニ、ムカデなど)が陸上に姿を現していた。さらに約4億年前のデボン紀前期には昆虫が地上に誕生した。

この昆虫と、それを含む六脚類の起源は、先行して上陸していた多足類だと以前は考えられていた。しかし、近年の遺伝子解析から甲殻類(カニ、エビなど)かその近縁の鰓脚類(ミジンコ、フジツボなど)がより近いと判明している。この結果から、後期シルル紀の淡水域には、現在の淡水のミジンコと、昆虫の共通の祖先がおり、そこから分岐した考えられる。

そこから、前述の河川と陸上の境界域で進化を重ね、地上に進出したのが昆虫だと考えられる。実際、出現当初の昆虫類の化石は、淡水域と陸上であった場所でしか発見されておらず、現生の昆虫のほとんどが陸棲である。

デボン紀の昆虫は、まま原始的な種のみであり、現在発見されている化石からは翅の獲得はみられない。現生の昆虫類は動物種の大半を占めるほど多種であるが、その多様な進化は、石炭紀以降で顕著になったと思われる。
(後略)

ということできわめて、本当にきわめてエキサイティングな時代だった。この時期にもしもネットニュースがあったら毎日のように「陸地の誕生」「新種の生き物の誕生」「新しい革新的な生命の形態の誕生」が報道されたであろう。そしてまた、生命は一本のルートを生真面目にたどるのではなく、多様にバラバラに、あれこれ試行錯誤し(「楽しみながら」とまで言ったらフィクションすぎ)、作られつづけた。その中で昆虫になったり魚類となって生き残ったものも多いが、かなりの種類が途中で滅んでいったことだろう。これらの壮大な営みの中の、特に脊椎動物中の硬骨魚類の進化と両生類の出現、中でも両生類という陸地をめざす生き物が出現したことはエポックメイキングであり、古風な魚類どもなら「何を好き好んでカラカラに乾いた空気に体中さらされていなくてはならないんだっ」と馬鹿にしたことだろう。「まったく理解に苦しむ」と。


◆ ◆ ◆


そんな時代から、約4億年の歳月をかけて変化をとげ人間にまで至った生き物の歴史。
本来魚であるポニョは、宗介という人間の男の子に、人間の女の子として出会うために大嵐の海上を駆け抜ける。
この時の無敵で無限のエネルギーはなんてかわいいんだろう?
このアニメって、かなり本当に子どもか、かなり老年の心を持った人しか面白くないかも。
第一、ポニョの元気がうざく感じるかもしれない。
ポニョの元気は、全編に満ちているがたとえばこんな場面にある。
嵐がおさまった後の晴れた海上を赤ちゃん連れの夫婦が小舟でやってくる。その時の赤ちゃんが機嫌が悪くグズグズとぐずる。ぐずっているのに別に理由はない。赤ちゃんが、その遺伝子に最初から持っているこの世界と身体感覚への不愉快さを表明している場面だ。そういったものを持っているのは言うなれば当たり前で、デボン紀から勘定しても、恐怖と飢えと苦痛とあるいは同朋が喰われたり死んだりするのに出くわした記憶が、深く刻まれているのだから仕方がない。ハッピーなことばかりではなかったのだ。
だからぐずり自体に意味はないのだけど、これに変に反応すると親はぶち切れて、赤ん坊が憎たらしく殺意すら誘発されることがある。赤ん坊が、生まれたこと(生んでやったこと)を感謝していないこと、赤ん坊が生き(させてやっ)ているこの世界を愛していないこと、などがガマンならず怒りを抑えられなくなるのだ。

ポニョが赤ん坊を笑わすシーンは、あえてなくても良いシーンに思えるけれど、長い間合いを取っているのでそれなりに重要なシーンだ。ポニョが赤ん坊を笑わせたのは、世界を崩壊させる引き金(のひとつであるソレ)を、なだめたかったのだろう。と思う。


この映画を観た数日前に『アキレスと亀』観ているんだけど、割合テーマが似ている。
どっちも老年の、そして親としては(たぶんきっと。よく知らんけど)ダメダメだったに違いない両監督の、深い懺悔と慟哭を感じる。そんでもそれらを諦めて、もしくは図々しくも肯定してしまってまたまた再起せんとする逞しさも。

親としてはダメでも、「子どもたちのために作った」というくらい、自分の子どもではない子どもなら、限りない愛を無条件に注げる。きっとそんなものなのかもしれない。

そういうのがいいことなのかどうなのか不明ながら、宗介のママ「リサ」はなかなか色っぽい女性で、今まで観た宮崎アニメの女性像の中では一番セクシーなおけつもといヒップをしていた。このプロポーション(特に後ろ姿)はとても時代感のある美しさなので、わたしは気に入ったし、「ロリ」「ロリ」揶揄されることの多い氏なのだけど、ここへきてやっとロリを卒業、大人の女性が描けるようになった、ということだろうか。

一方ポニョは、人間の女の子になってからより、魚類の時のがかわいいかも。あとエネルギーの使いすぎでグタグタになって眠ってしまって、両生類に戻ってしまう時の目と目が離れた顔がおもしろかわいいのだった。


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