ゆれる,media:ケーブルテレビ

ゆれる

この映画は一昨年映画館で観た。
それ以来時々思い出す機会があったものの、事件の真相の記憶が曖昧になり、結局、智恵子はどうやって吊橋から落ちたのか、やはり稔に突き落されたか、それとも自分で落ちてしまったのかと、肝心なところが分らなくなっていた。
もともとこの落下の瞬間を映画は観客に見せず、見せたのは、落ちた瞬間を目撃する猛(たける。みのるの弟)の顔だけ、という仕掛け。
しかし猛はこの瞬間を「見なかった」と主張したため、観客は最後の最後まで落下の真相が分らず、加えて目撃者である弟の真意もつかめず、さまざまな可能性を頭の中で想像しては、その間を行ったり来たりとゆれる、ことになった。


どうやって落ちたのか、可能性はふたつ
1:稔が突き落した
2:稔は突き落さなかった

1の場合、どうして猛は見なかったと主張したのか?
1-1:兄を庇うため
1-2:兄が面会時に言った通り、「殺人者の弟になるのがいやだから」
1-3:他の打算的な理由。家業をつつがなく継いでもらいたいから、など
1-4:前日、智恵子とやってしまった後ろめたさがあるから
1-5:

2の場合、どうして猛は見なかったと主張したのか?
2-1:兄を苦しめたいから
2-2:兄を助ける行動をしたくないから(できないから)
2-3:性根が腐っているから
2-4:バカだから
2-5:兄に愛されたいのに愛してくれないから(腐女子系)

2-1の場合、どうしてそんなに兄を苦しめたいのか
2-1-1:嫉妬や敵意
2-1-2:サドだから
2-1-3:面白いから
2-1-4:性根が腐っているから
2-1-5:バカだk

智恵子(ちえこ。真木よう子)の立場から考えてみよう。智恵子は、稔が助けようと手を差し伸べたら、その手を取っただろうか?
A:生理的嫌悪感が邪魔をして取ることはできなかった
B:自分の命がかかっているのだから、嫌いな男の手であろうと、取った

わたしの頭の中に出来た記憶はこうだ。1、1-1、A。図式で言えば、キモメンの兄とイケメンの弟・キモすぎて助ける手を取れなかった智恵子・それを天国から見守る母(母に感情移入した観客の視点)、という三角「錐」関係。母にとってキモメンもイケメンも等価であり、どちらもかわいい、仲良くしてくれ、という気持ち。しかし、等価とはいかない智恵子が、兄弟の間で残酷な選択を行う、致し方なさ。ここには、「映像」に凝っていた母と、キモメンとイケメンの兄弟の間に挟まれた智恵子という2人の女性がいて、かつて撮られたことのない深層が描かれている、と感じ大変に興奮したわけである。

今回観たら、100%の自信をもって言い切れるわけではないが、1、1-1、Aではなく、
2、2-1、2-1-4、B、だった。
完全にわたしは記憶を捏造していたことになる。驚きだ。
こうなると、今まで考えていたよりもずっと猛は腐れオトコだったことになる。
ついつい、オダギリ・ジョーの色香に惑わされていた。
そして、今まで考えていた以上に、猛は空虚なやつであり、イケメンだからと幸福なわけではなく、天国の母が憐れに思っているのはてっきり兄の方に感じていたが、今回観たら、これは弟の方だろうと、いろいろと変化した。

この小さなテレビ画面で観ると、西川美和(監督・脚本)は、考えていたよりも天才なわけではない。
いきなり始まる猛のナレーションにしても、母の残した映像を見て猛に喚起されたものの正体も、数回インサートされる落ちた瞬間の映像にしても、猛の内面の荒廃の原因の不明さも、イマイチ納得しかねるものがあって、不完全な印象だ。


がしかし、それは小さな話だ。
母の残した8ミリフィルムが、失われた時間への圧倒的な切なさととともに、猛を救ったことを思うと何となく癒されるので、いいやと思う。思えば、映像とはそれがどんな映像であれ、すべて過去なんだ。
いつかすべて失われ、すべて去って行く。映像はそのことを思い出せてくれる。そして、その前にしなくてはいけない大事なことがあることも。


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