2012年09月03日

アッ…と言う間に去った八月を振り返る。あるいは、え、なめるの? そこを?

八月はやけに忙しかった。日々のsukimaも一回もアップできなかった。更新を楽しみにしていた日本語圏のみんなにはツライ思いをさせたネ。メンゴメンゴw

映画は新宿で『ヘルタースケルター』を見た。沢尻エリカが寺島しのぶ演じるマネージャー相手に股を開き「なめて」と命令した時の寺島さんの顔がおかしくて受けた。自分だったらホントこんなシチュどうしよう、冗談じゃないなあと思って見た。したらその「なめた」翌日に沢尻エリカ演じるりり子が「一回まんこなめたくらいでいい気になってるんじゃないよっ!!」とどやしつける怪演だった。しかし、ということは、このマネージャーさんイヤじゃなかったんだと思って驚いた。でもってわたしの隣で見ていた同僚は、りりこのそのセリフを聞いて「ひどすぎる」と、思わず一言漏らしていて、そっちも驚いた。ひどいっていうなら、なめさせられた事がひどいよ、と思ったからだ。いや、女性が女性の阿素湖素子をなめるのがあり得ない、という話しではなく、なんというか、なめたい!!とは言わないまでも、ケースバイケースではなめるかもなーくらいなオーラを出していて欲しかったのだ。ところが沢尻さんときたら即物的すぎて情念レベルで響くものがない。好き嫌いでいえば当方、彼女のことは嫌いでないし、おもろい人だと思っているだけに残念。

したら先日、NHKのニュースナインヲチで大越さんが『ヘルタースケルター』の監督とりり子を招いてインタビューしていた。その時の大越さんのリアクションが、「僕にはまったくついて行けません」感をめいいっぱい発散し、同世代~団塊~高齢者層にアピールしていてシタタカだった。だったら自分が付いてける映画の監督と俳優呼べばいいじゃない、バカみたい。

それを言ったらあの二人も、「え? そういう映画だったの?」と違和感感じることばかり言ってた。女子高校生をあんなバカ集団としか描けないのがそもそも311以降の感性とは思えないし、本来、原田美枝子演じる整形外科医こそ、人間を規格化し商品化し、その果ての究極の資本主義世界を示唆する作品のキーウーマンのはずなのに腰砕けの期待外れもはなはだしい。

そこをうまくやってれば、「女の欲望」+「近未来」という今日的なテーマを世界に先駆けてSF映画化できたろうに、惜しーーーーー!!

あと、人に説明するとき「ヘルスメーター見に行ったの?」と勘違いされることがあるので、注意だw

posted by sukima at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | 更新情報をチェックする

「『認知症の人を地域で』 厚労省が本腰」ってそれはいいけど、そういう極めて個別的な事、今の中央集権体制でどこまでやれるンだろう?

今日のソース(特濃)一覧
  1. 「認知症の人を地域で」 厚労省が本腰 精神科病院の抵抗  WEDGE Infinity(ウェッジ)(2012年07月24日)
  2. 今後の認知症施策の方向について(2012年6月18日)厚労省pdf
  3. 厚労省の認知症報告書「一方的な官僚主導」 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年08月08日)
  4. 新たな認知症施策をまとめた報告書を公表- 在宅支援チーム創設を提言・厚労省 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年06月19日)
  5. 認知症医療「どこが不適切か理解できない」- 日精協が厚労省報告書に反論 - 医療介護CBニュース - キャリアブレイン(2012年7月26日)
  6. BPSDの激しい認知症の方の移送と入院 - リカバリー志向でいこう !
  7. イギリスの地方分権-その誤解と現状 - Westminster日記
  8. 各国の地方自治シリーズ - CLAIR 財団法人自治体国際化協会
  9. 英国の地方自治
  10. 隔離医療に問題 八尋弁護士
  11. NPO法人 認知症ケア研究所

 

ソース印ソース1「認知症の人を地域で」 厚労省が本腰 精神科病院の抵抗  WEDGE Infinity(ウェッジ)は、とあるツイッターを見ていて知ったもの。

これ読んで思ったのは、せいしん科って、ほんとーーに悪口ばっかり言われるなぁってことで。

ウェッジって聞いたことない出版社だけど、知りもしないのによくこれだけボロクソに言うと思う。

もう腹たって腹たってしょうがなかった。

かくいう当方も10年せいしん科で働いている。

っていっても准看だからね…

さして怒る資格もないわけだけど…

だからスルーしようかとも思ったけど…

真面目にやってる看護師とか医師とか、頭に来ないのかね?

その点も気になって、他の人が何を言っているか調べてたら、きりもなくソースが増えてしまって、どんどん濃厚な味わいへと…

そりゃせいしんに暗い歴史、及び現在の問題点があるのは確かで、わたしも何冊か関連書籍(ルポ本や精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本など)を読んだことがある。

それにまた、地方によっても違いがあって、わたしがせいしんで働き出した10年前に聞いた話だから今は違うかもしれないけど、「自分の田舎のせいしん科では患者を外に出す、ということはない。まず家族が嫌がって人に見せたがらない。だからこっちのようにレクで外出ということはない」

と言っていた。

その人は東北の人で、「できれば田舎のせいしん科では働きたくない」と言いながらも、親の面倒を見なくてはならず、しばらくして職場から去って行った。

帰って田舎のせいしん科で働くことにしたのかどうかは不明だけど、もしもそうなら、少しでも開かれたせいしん科にしたいというココロザシでいたろうとは、思う。

ソース1の最後に「多すぎる日本の精神科病床数」として、「日本の精神科病院の病床数は世界的にみて圧倒的に多い」旨が書いてあり、「日本には明治以来、私宅監置という制度があった」云々と書いてある。

この事は事実。ベッド数が多すぎる件は昔から言われていて、わたしも職場のせいしん科の講義で数回聞いた。ただ、なぜこんなに多いのか、という点はよく分からなかった。

ベッド数を減らすのは賛成だし、実際に訪問看護やデイケア、ナイトケアを利用することで実現している。
以前なら入院していた人が、実は身体は健康、自分のことは自分でできるのだから当然だ。(多少そのやり方が風変わりに見えたり、おぼつかなく見えたとしても)

地方はどうかよく分からないが、都市部はどんどんそっちへ移行しているし、これからは更にそうなるだろう。

もしも進んでいないとすれば、その地域に必要なことは…
地域の人は、人の多様なあり方を認め、規格化されたモノカルチャーな性格だけしか認めないような考えをあらためる。そのために地域は、さまざまな催しや活動を行い、さまざまな条件下で生きる人への理解を促す。それにより、誰もが認知症などで自分も同じような事態になる可能性を受け入れるようになり、一方的な理解や寛容ではなく、お互い、という観点から複合的な視野を得、それがまた思考に柔軟さをもたらしひいては自分の人生を豊かにする。地域全体として言えば、皆が広い心を持って余裕をもって生きられ、人間同士のつながり及び土台となる環境をともに作るようになる。

つまり、皆の問題だ。

せいしん科だけを悪者にしたところで、どうなるっていうんだろう?

せいしん科病院が患者さんをかき集めて無理矢理入院させてるってんなら兎も角、そんな事するわけがない。退院にしてもほとんどの人がいつでも退院できる「任意入院」のはずだ。

そりゃ元のベッド数が多いから人が入ってしまう、という側面もあり、ベッドがないなら入院しようもないから、せいしん科がぜんぜん悪くない、とはいわない。また、非常によくネットで見かける批判として薬の不適切な処方によるせいしん症状の悪化、などによる入院もあるかもしれない。が、あいにくとわたしは医師ではないのでその件についてよく分からないし、コメントする能力はない。ただ自分の周囲ではそういう印象は受けないので不思議には思っているけれども、そうは言ってもどの医師も最初から素晴らしい処方をするわけではないし、まして新薬がどんどん出る昨今の状況は、せいしん科病棟の風景を一変させた。(ここらへんは良い面もあるし、混乱の面もあると思う)

おもに社会(や家族)の無理解や受け皿不足が入院を続けさせているわけで、筋違いの攻撃もはなはだしくないだろうか?

ソース1をさらに見ていこう。あまりにも理解のない事が書いてあるからだ。
「本人の同意がなくても、保護者の同意で入院させることができる医療保護入院制度を創設したことだ。」と、あたかも悪いことであるかのような文脈で書いてある。

ちょっと待ってほしい。「本人の同意」と、伝家の宝刀のごとく「本人」「本人」言うが、その本人にまっとうな判断能力がない場合はどうするのだろう?
本人が自分で判断できるのなら、その通りすればよい(←ウェッジ及びウェッジが参照しているソース=10番は、これを至上のものとしている)。しかし実際は、本人は自分で判断できているつもりで、まったく出来ていないのだ。もしも本人の入院したくないという判断を尊重してその通りにしたら、その足で速効車に飛び込むかビルから飛び降りるか、あるいは他害行為に及ぶだろうと予測される場合、いったいどうしろと言うのだろうか?

そのまま死んじまえ、とか、やっちまえ、とでも言うのだろうか?

「本人」をあまりに重視するあまり、この件が軽視されすぎていないだろうか?

このように、本人でありながら本人であることを失う事態は、せいしん科ではまったく珍しくない。
というか、本人でありながら本人であることを失ってしまうのは、せいしん科ばかりではなく、ごくふつうに起きる。
少し前も「電車に乗っていて、突然自分が誰なのか、なぜここにいるのか分からなくなった」と、極度の不安及び混乱で入院してきた若い男性がいる。入院してきたといっても、そんなのは病気でもなんでもない。本来は誰にでもあることだ(と思う)。ことに10代後半から20代前半には通過して当然の道だ。ところが、人間の精神の可動域(というか可能性というか、うまい言葉がみつからないが)の広さを認めれない規格化された社会だと、そういう不安や混乱は異常事態になってしまう。
不安や混乱とは少し違うが、そんな社会だから、ちょっと暗い人間や無口な態度や内向的な人は、極端に生きづらい世の中になっている。というか生きづらいを通り越して「ウツ病」扱いになって(本人も明るく振る舞えないのだからウツという気になって)病院にかかる。
(ちなみにその男性は一泊もしないくらいで退院していった)

わたしがいる所はあくまで病棟であり、外来ではないので相当憶測混じりだし、個別的に考えないといけないわけだけど。
(外来に来る人の本来の足場は、最大のストレス源である職場、家庭、学校であり、そこからとりあえず解放されている入院者とは違ってくる)
話しが際限なくなるので「認知症」に向けたい。
認知症もまた似ている。
ソース1の冒頭にこうある。
「厚生労働省が画期的な報告書を出した。『認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会』の実現を目指す、とある」。
ウェッジは手放しで厚労省を礼賛しているが、認知症で、話しの多くは通じなくなっているのに、本人の意思など、どう尊重するというのだろう?
「本人」がちゃんとしているのなら、誰も認知症なんて呼ばない。

ウェッジが「画期的」と絶賛する厚労省の方針(ソース2)を読めば分かるが、厚労省が尊重したいのは本人の意思ではなく、あくまでも厚労省の意思だ。厚労省は、本人の意思を「住み慣れた地域に住み続けること、住み慣れた家で暮らすこと」と決めてかかっている。もしも本人が、家から離れ施設に住みたいとか、せいしん科でもいいから病院に入院したいと意思したらどうするのだろう?

細かいことを言うようだが、「本人」「本人」と言ってさえいれば文句ないだろという態度が気持ち悪い。

 

ソース印ソース2今後の認知症施策の方向について
さっきから話しに出ている、今年6月18日付けで厚労省が出したやつ。

これに対して人がどう言っているかをみつけるのは難しかった。仕方ないので2ちゃんねるの板で調べたところ、認知症関連のスレッドは乱立していたが、該当するものは少なかった。というか、板は殺気立っていて(2ちゃんの場合たいがいそうだが)、認知症を看る家族の苦労が忍ばれた、というか壮絶と言っていいほどだった。

2ちゃん以外では、ソース6番をみつけた。長野県でせいしん科系訪問看護など地域医療に取り組んでいる方と見受けられた。言うなれば、厚労省の言っていることを先がけてやっている方だ。この方は軽く言及し「よくできている」と一言漏らしていた。

ソース11番は、職場で認知症勉強会をした時の先生が主宰するNPO法人。もう3、4年たつがわたしはその時の小冊子を今も持っている。認知症の症状や特徴や分類など分かりやすく書いてあり、なおかつとても温かい内容だ。「何もできない、気難しいおばあさんとしてではなく、『私』を見てよ、看護婦さん」という言葉で締めくくっている。

これは何を意味するかというと、認知症という属性を離れ、その人自身を見る、その人自身と関わる必要性を説いている。認知症というと(認知症に限らず他の「病名」全部そうだが)、どうしてもその病名で判断してしまう。けれど、実際はその病名以前に、その人固有の性格とか人生とか価値観というものがあり、その人自身がいる。そこを第一に見る大事さ、ということ。

その先生も、厚労省の方針についてブログでサラっと触れてはいても、詳しい感想などはない。
まあ、言われなくてもとっくの昔から、目も耳も心も総動員でご本人の意思をくみとりながらやっているのだから、厚労省の指針は興味のわく内容ではないのだろうと、わたしは推測した。

 

「今後の認知症施策の方向についてby厚労省」を読んでの感想
  • 認知症の人の人数をどれくらいと認識しているのか。それは前期高齢者、後期高齢者のそれぞれ何割なのか
  • それの、少なくとも向こう20年間くらいの推移推定
  • 地域差というのものを、どう捉えているのか。都市部と地方では、考え方に相当に違いがあるような気がするが…
  • 認知症の原因をどう捉えているのか。認知症の原因の特定には力を注がないのか
  • 『「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」の実現を目指す』と、数回にわたって強調されているが、本人が「住み慣れた地域を離れても施設で暮らしたい」あるいは「せいしん科でもいいから病院に入院したい」と意思した場合はどうするのか?
  • 家族がおらず、なおかつ「かかりつけ医」がない場合どうするのか? 認知症の早期発見はできそうもないが
  • 認知症初期集中支援チームによる初回アセスメント訪問というのは、どうやるのか? やはり家にあがってやるのか? その対象となるのは、一律65歳以上なのか? 本人がイヤだと言ったらどうするのか?
  • その後も定期的に認知症になっていないか確認に来るのか? 「今日は何月何日ですか?」としょっちゅう聞きに来るのか? 「ふざけんな」と怒りだしたらどうするのか?
  • そもそも、人員確保をどうするのか? 給料はちゃんと出せるのか? 休暇もちゃんと出せるのか? 働く介護者のモチベーションはどう保つのか?
  • 厚労省としては認知症の人にどこまでも家に留まってもらって、半分は家族がみる前提でいるようだが、多くの地方では都市部に家族が出て行っている。家族を戻す意味でも、地方に権限委譲し活性化する必要があるように思うが、どうなのか?
  • 市町村単位の取り組みの必要性を言っているが、市町村単位にどれくらい裁量権があるのか?
  • これら施策によって官僚に与えられる利益、権限、天下り先、箱物は、どれくらいあるのか?
  • 認知症の人に対する介護の質を、トップダウン方式で保てると思うか? 現場で起きる多種多様な出来事はケアパスにないことばかりだと思うが?
  • 市町村単位なり、もっと小さいユニットなりで、話し合い、独自に解決策を見いだす方が、意義があり、生きている実感のある仕事方法だと思うがどうか? そういう意味では働くサイド(介護者等)もまた認知症/高齢者候補であると考えれば、より充実感のある方法で仕事をした方が「予防」になると思うがどうか?

 


 

■ウェッジの記事、「夫を入院させて後悔している女性」の話しは真実だと思うけど、悪いせいしん科病院の一方で、女性の助けになった「いざと言う時は、救急隊にその病院の名前を言えば、必ず受け入れてくれる 訪問診療を手がける病院」もせいしん科病院なんじゃないのかなあ? 認知症の訪問診療というのだから。そういうのもハッキリ情報提供してほしい。

■ソースの345は参考までに挙げてみた。

■789は海外の自治。それも特に厚労省が手本としてあげるイギリスだ。イギリスでも大きなせいしん科病院は閉じているのがaizy.net/20e2012.htmを読むとわかる。

■軽度のうちは「本人」の判断力はあると思いますが

■「地域でみる」とは、地域「が」見る、というのとは違いそうだ。

posted by sukima at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代社会 | 更新情報をチェックする

(続)アッ…と言う間に去った八月を振り返る。あるいは、わたしにまで押し寄せてきたFaceBookの波!?

フェイスブックというのがある。
あるけどわたしは全然興味がなかった。
ところが八月のある朝、携帯にフェイスブックからメールが来た。
いわく、「剛太さんから友達申請が来ています」みたいな内容だ。

わたしは、「剛太? 誰それ? 気持ち悪いなあ、スパムメールの一種ね」と思ってそれきりにしていた。
そうしたら翌々日、同僚のIからメールが来て、「大岡山さんから、フェースブックの誘い、来なかった?」というのだ。

わたしは「フェース」と伸ばさてる点に反応して笑いそうになったが、同時に、「そうか剛太って、大岡山剛太さんの事だったんだ」と、気付いた。

なるほど、大岡山剛太さんは古くからの同僚なので、彼ならわたしの携帯のメルアドを知っている。
おそらく彼は、自分の知っているメルアドを全部フェイスブックの記入欄に入れたのだろう。
で、自動的に、わたしとIに友達申請が来た。
そういう仕組みか。
よく出来ている。

単にメルアドを知っている、というだけを表現したに過ぎないのに、「友達になりたい」という欲望に自動変換して送る仕組みだ。確かに、自覚的、積極的に友達になりたい欲求というのは、そうそう表出できるものではない。相手に拒否されたらどうしよう? 相手が自分に興味がなかったらどうしよう? つーかわたしの事、嫌いだったらどうしよう? などなど考えていたら、頭グチャグチャになる。

ところが、驚いたのはそれだけではない。
とりあえず覗くだけは覗いてみようと思っておもむいたフェイスブックの大岡山剛太さんのスペース。
そこには、特にとりたてて何もなく、顔写真すらなく、何が趣味とも何が好みとも書いていなかった。
ただ、数人、わたしも知っている職場の人が彼の「友達」になっていた。
それだけ確認すると、ログオフしたのだった。

したら次の日職場で、Iが自分のアンドロイドを見せてくれたのだが、そのフェイスブックのアプリに、わたしの名前がしっかりと出ているである!! わたしは、Iのスペースには行っていないのに、だ。

驚いたねー
いやもう、不気味。コッソリ、というのが通用しないなんて。
行動全部監視されているようなもんじゃん!! 怖い怖い

それでさらに、周囲の人間にフェイスブックの事を聞いてみたところ
「やめなよフェイスブックなんて。大津のイジメ事件だってフェイスブックで芋づる式に面が割れたんだよ。みんなバレバレになってやばいからやめな」
と言う。
いや何もそこまでバレバレを心配しなくても…とは思ったが。
また他の人によると
「あんなのやめた方がいいっすよ。フェイスブックやるくらいならラインの方がいいって。フェイスブックなんて『いいねボタン』を押した、押さないでごちゃごちゃしてばっかっすよ」
なるほど確かにそれは面倒くさい。わたしの一番嫌いな言葉「面倒くさい」。一番好きなの「気楽」。

けどさっきも、「友達申請が2件きています」とかいうメールが来て、ついつい見に行ってしまった。
その二件は何のことはない、ひとりはI。ひとりはIの友達だ。
どうもIは、なんだかんだ言って相当フェースブックにはまっているようだ。最初は「怖いね-」なんて言ってたくせに。

まあ、これからどうなっていくのか。予断は許さない。
必ずしも、フェーースブック、否定する気はない。
進展があったらここで報告しよう。

posted by sukima at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | 更新情報をチェックする

2012年09月05日

八月二十二日。官邸前デモ主宰者、首相に直接会って直訴す。

今年の3月11日官邸前に向かっている

2012年3月11日夜、首相官邸前に向かっているところ

脱原発デモ。
その主宰者達が野田首相に直接会って要望を伝えたのが、8月22日だ。
会っても野田の既成事実作りに使われるだけだと批判する人も多かったけど、実際はどうだったんだろう?
今思い出すのは、今年の311、首相官邸前で主宰者たちが官邸に向かって要望書を読み上げていた光景だ。
首相官邸「前」とは言っても、ご近所の玄関先で「野田さん」と呼ぶのと違って、首相官邸は遙かに遠くて遠くて、大きな道路もあるし敷地も広いし、とてもじゃないが要望が聞こえているとは思えなかった。
彼らはただただ夜の虚空に向かって、声を張り上げていた。
ワレワレの強い願いを伝えるために…

IWJ Independent Web Journal » 2012/08/22 野田首相に対する直接要求・勧告行動
直接、要望を伝えているところ。10人くらいの代表がそれぞれ違う持ち味で伝えている。いい内容だった。

堤未果 JAM THE WORLD 2012.08.22 - YouTube
22日のJAM THE WORLD、官邸前デモ主宰者Misao Redwolf (みさおれっどうるふ)氏に堤氏がインタビューしたもの。

野田首相にMisao Redwolf氏たち の言ったことは

1.大飯原発再稼働を中止してほしい
2.定期検査中の原発の再稼働をしないで
3.エネルギー政策の転換
4. 原子力規制委員会の人事案の撤回
5.福島から避難している人らの補償

ラベル:デモ
posted by sukima at 02:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力発電所 | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

【れびゅう】ディア・ドクター

JCOMが今月西川美和特集をやっていて、みたかった『ディアドクター』、チャンネルnecoにてやっとみれた。
(同監督の新作映画が公開されるからのようだ。他には、『ゆれる』や『蛇イチゴ』)

deardoc.jpg

☆↑クリックすると オフィシャルサイト
けど、先にこういうの見ると、先入観に支配されるので、み終わってから見ましょう。
こういうのは、あくまでも宣伝。売れないとやっぱ困るから、宣伝。

   →続きを読む (展開を明かしているので、観てから読んで☆)
posted by sukima at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | Review | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

間違って見ちゃった「テレビタックル」雑感

3時間SPと称してやっていたのを、途中だけ見た。もう、ゾッとした。で、今ツイッターで「テレビタックル」で検索したら、他の人も似た感想を持っていて、ちょっと嬉しくなった。

一緒に見ていた娘にも言ったんだけど、こういうのを見ることで、政治に関心を持った気になるのは間違い。今までがそうだったのだとしたら、今までが間違っていた。これで「ガス抜き」されてしまっては(されたとして、だけど)、とてもじゃないが向かうべき「自治」には、その足下まですらたどり着けない。こういう番組はアホ同士が小競り合いをすることで視聴率を上げているだけのパフォーマンス。北野武だって映画制作費を稼ぐ目的で出ているだけ。

そこらの認識だけは持っていた方が良い。皆、金のためなんだよ。単純にそれだけのこと。

にしても、宮崎哲弥氏は、どうして「国を守るんだ」とさかんに言うのだろう?
どうしてそういう事を安易に言えるのだろう?
国を守るって言うのは、個人レベルで勝手に出来ることではなく、国家-軍事の指揮命令系統で行われること。
それが、この前の太平洋戦争の時なんか、適地に向かって戦闘機でつっこむなどという、無謀な特攻作戦ばかりさせていた。
そんなクソ作戦しか思いつかない指揮命令系統しかない日本で、どうしてそういう事が安易に言えるんだろうか?
ホントに、いい加減にして欲しい。
だいたい中国とか韓国とかって、日本にどういう悪いことしたの? 日本人を何人殺したの?
アメリカなんか、とてつない数の日本人を殺している。
そのアメリカには従属なのだから、日本人をたくさん殺してくれてありがとうとでも思っているのだろうか?
今現在でも、その頃と日本の指揮命令を下す連中のメンタリティーはさして違っていないと思う。
そこが直りもしないうちに、「国を守る」とか、安易に言わないでほしい。

posted by sukima at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事、戦争 | 更新情報をチェックする
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