2011年08月11日

小沢イチローは「悪党」なのか「キャラクターアサシネーション」の犠牲者なのか、それとも他の何かなのか

小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 主催:自由報道協会
7・31小沢一郎氏の 名誉回復と復権を求める 街頭行動、浅草大行進デモの写真レポート by SOBA(汗)
石川知裕氏と佐藤優氏が緊急対談「平成の『悪党』はこう作られた - マスメディアと東京地検特捜部」 (BLOGOS)
悪党―小沢一郎に仕えて 石川知裕 (著) (amazon)
次の衆議院選挙が行われるとしたらいつになりますか (yahoo知恵袋)



■まえふり

つい先日、職場の昼休みにしゃべっていたらしゃべるネタがつきてしまって、だんだんと政治の話になった。
すると、20代後半の男の看護師Bが「政治家も官僚もあいつらゴミ!! ぜんぶ爆破するしかないっっすよっ!!」と、口調激しく永田町と霞ヶ関を罵倒しはじめた。一同の中で、これに反論を試みた者はいなかった。

その翌日の夜もBと一緒になったので、仕事の暇な時に政治と社会についてしゃべっていると小沢一郎の話になり、今度は50代の女性D代が「あたし、おざわいちろーーーっだいいっきらいっ。いつもふんぞり返って。あの態度と顔が見るのもいやっ!! 一番きらいっ!!」と言い出した。わたしはその剣幕に驚き、返事もできなかった。

今なら、「そのイメージってマスコミによって作られたものかもしれないですよー?」くらいは言えたと思うが、その時は思いつかなかった。もっともBが「強いリーダーシップないと政治は変わらないっすよ」と、反論っぽい事を言っていた。そのくせBは「…小沢の懐にガポガポ入る云々」と先に言い出している。

それもまた、小沢=金権体質というイメージにのっとったものと思われるので、どう返事しようか迷っていると、D代の剣幕に押された、というわけだ。



小沢はともかくトータルに考えるに、以前は政治の話題というと、どうしても場に創価学会の信者(すなわち公明支持者)がいたり、その人が蛇蝎のごとく嫌う共産党系の人がいたりして、市井レベルでは実質、公明vs共産党だった。

つまり、政治談義の主役はいつも学会員、もしくは(滅多に場にいないが)共産党支持者だった。それゆえに、政治の話は、ほんとうに政治を語れるものではなく、熱烈な信仰にお付き合いする一種の会話劇だった。


それが今、共産党にしろ公明党にしろ意味を変えた。口だけは達者だったが彼らには何の力もない。その事があらわになった。もちろん他の政党も同じだ。広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出、しかもそれらが減っていくスピードは原爆に比べて極端に遅いという※。そんな、たえまなく命を脅かされ不安にさいなまれる「戦中」、という状況にあって、政治の話しというのは、何党を支持する・しないという平和な次元のことではない、のだとつくづくと思う。



▼小沢イチローは「悪党」なのか「キャラクターアサシネーション」の犠牲者なのか、それとも他の何かなのか

☆阿修羅 > 石川知裕氏と佐藤優氏が緊急対談「平成の『悪党』はこう作られた - マスメディアと東京地検特捜部」(BLOGOS)
小沢氏はものぐさでフツーのオッサン…石川知裕衆院議員著「悪党―小沢一郎に仕えて」 (スポーツ報知)
小沢一郎×カレル・ヴァン・ウォルフレン公開討論会&記者会見 主催:自由報道協会
ガジェット通信 『誰が小沢一郎を殺すのか?』著者と小沢氏本人が対談 全文書き起こし 2011.07.29 23:00:53 by ニコニコニュース category : 政治・経済


佐藤氏と石川氏の対談、見てみた。
石川氏が出した本『悪党』(2011/7/7発売)も買って読んでみた。
対談の中で石川氏は、上告して最後まで戦うことを決めたと言っていた。そのためにかかる費用は4000万円を超える!という。その費用をまかなう目的もあって出版したとのことだったから、「カンパ」の意味もこめて買った。

さらには自由報道協会の会見も見た。
どちらも主役は小沢だけど、その位置づけはまったく違った。
石川氏は本書で、小沢(と自分、自分たち)を、すすんで「悪党」と位置づけている。
表紙の写真も、民主党のポスターに見るような、ややはにかんだ調子で笑う好感度の高い小沢ではなく。
顔半分が暗い影に沈んだ、肌のぎとぎとした、やや口角をあげつつも一文字に堅く口を結んだ、血走った目の、とても「クリーンな善人」には見えない写真だ。

一方自由報道協会の方は、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏という海外目線を導入することで「キャラクターアサシネーション」なる概念を提出。小沢は「世界的に見ても類を見ないほど長期にわたるキャラクターアサシネーションを受け」続ける珍しい人、として立ち現れた。

珍しい人というか、巨大権力のイジメを集中的に受けている人。その中で信念を貫き、民主主義を実現しようとしている人、というか。
欧米人の目線からしたら、
このことは、大変な人権問題が起きているということであり、民主的ではない、閉鎖的で旧弊で封建的で前時代的な政治制度が今だにまかり通っていることであり、着目せずにいられないのだろう。

よくよく関心を持ってみれば、日本人にとってだって、決して看過できる話ではないはずだ。


しかし小沢氏の秘書を長年つとめ、20年間側近だった石川氏に言わせれば、小沢一郎は「悪党」なのだ。
キャラアサの被害者ということで、検察なり、官僚なり、嘘ばかり書くマスメディアを攻撃・告発するよりも、「悪党」宣言を選んだ。かなりの冒険だ。
ただ「悪党」の意味は単純ではない。広辞苑には、

【悪党】1:わるものの集団。転じて、わるもの。2:(中世語)荘園内の反領主的荘民の集団。鎌倉後期から南北朝時代にかけて、秩序を乱す者として支配者の禁圧の対象となった武装集団。風体、用いる武器などに、従来の武士とは異なる特色をもち、商工業・運輸業など非農業的活動に携わるものも少なくなかった

と、載っているそうだ。「約700年前、日本は北朝と南朝の真っ二つに分かれた。鎌倉幕府を倒した盟友の足利尊氏は、官僚のような政治エリートと結託して光明天皇を担いで北朝を支えた。吉野に逃れた南朝を支えるために楠木は尊氏と戦い討ち死にするが、残された悪党は南北朝統一後も南朝のために既成勢力と戦った。」

という歴史が、日本にはあるそう。
小沢一郎を「悪党」と言い切ってしまう発想は、元外交官で逮捕され仲間(先輩)の佐藤優氏にヒントを得ている。歴史上に、小沢一郎が置かれているのとそっくりな状況が、存在したのだ。
だから、マスコミがギャアギャアと犯罪者扱いする、ああいう意味での「悪党」とは違う。


しかし、いくら違うとは言っても、悪党のイメージが今以上ついてしまったら、ますます首相などは遠くならないか?? そんな心配をわたしなどはしてしまう。

政治家は、ユウシュウなる官僚の言うことを聞いて、ユウシュウなる官僚の利益温存を第一に考えれば、それでうまくやっていける。マスコミにしてもそう。彼らのナアナアの流儀を尊重してやりさえして、馴れ合ってあげれば良いように「報道」してくれるのだから。そういう制度でやってきたものを、反逆するのだから、それはもう「悪党」ということでいいのかもしれない。
まして、小沢は「お互い言いたいことを言って、話し合いで決めていく、そういう民主主義を実現したい」と繰り返し繰り返し言っているわけだが、実のところ、日本人がそういう民主主義なんてものを求めているのかどうかすら、あやしいのだ。本当は求めていないものを、やるべき!!と通すなら、それもまた「悪党」なのかもしれない。



▼書く理由

唐突だがわたしがこれを今書いている理由は、小沢一郎に首相になってほしいからである。


今、かつてないほど、日本の市民が自分で考えて何かしようという機運になっているため、あるいは、小沢一郎はもう不要なんじゃないかとも考えた。つまりNGOやNPOといった市民の活動が活発なら、小沢などという権力者はいらないのじゃないかと思った。けれど、福島の親たちの必死の陳情を受けるのは、やはり官僚、役人なのだ。どうしうても、役人と関わらないといけない。

さっきのツイッターでも見たけど、実際は、線量が下がって安心できるわけでもない状況なのに、一部避難区域解除などということを、政府は始めた。ただでさえ避難先で不自由な思いをしている人にとっては、朗報に聞こえるだろう。けれど、「放射線の健康への影響」で児玉龍彦氏も言っているが、解除などする前に、厳密な測定をしなくてはいけないはずなのだ。

しかし、最初に「安全、安心、たいしたことない」と政府も言っているし、新聞テレビも言っているから、それを撤回することが出来ないでいる。そのため、マスコミ・政府の情報を信用する人と、ネットなどで情報を得、マスコミ・政府の言うことを真に受けていない人との間で、意識がどんどん両極化している。

これを是正できるものは何だろうか? 市民運動の可能性も高いのでそっちもやるとしても、非常に長い時間がかかりそうなのだ。

この二股に分裂していった意識を、ひとつにまとめないといけない。
そうでないなら、放射線大丈夫国と、放射線危険国のふたつに国が二分される。
が、そうはいかない。放射線は、国境で分けることができるような飛散の仕方をしていない。南北朝はひとつに統合されなければならない。その場合、大丈夫国に勝たれて大丈夫国の天下になってもらっちゃ困るのだ!!

(大丈夫国に勝ってほしい人は、そっちの陣営で戦えばいい。その場合、主な犠牲者が子どもであることを忘れないでください)



▼小沢は、求められていないのなら、なる気はない





・・・・・・・>次回に続く。

(他に
▼民主主義って、何をやればいいの?
▼小沢=民主主義と、イメージが結びつかない理由
▼佐藤+石川対談で言っていたけど、実は小沢派と言っていても、小沢さんの考えを理解していない人は多いらしい
▼小沢一郎とは、どこまでも政治好きな政治オタク。政治家が天職。政治家以下でも以上でもない。(菅直人や海江田のような奇態なのを見慣れてしまったため、ああいうのが政治家と錯覚してしまうが)
▼小沢さんでなくても変えてくれるなら他の人でもよい。と、たとえそう思っていても言ってしまったら、変えられる人はあらわれない

などが続く予定)



小沢一郎の政経フォーラムが2011年8月17日(水)  誰でも参加できるそうです。ちなみに『悪党』にも書いてあったけど、政経フォーラムは毎年、年に四回やるそう


2011aug 348.jpg
やたらに太い帯に、いろいろセリフが・・・

2011aug 349.jpg
うらにも。


※児玉氏が国会で発表していた

※2 くわしくは「放射線大丈夫(と思い込みたい)国」と
   「放射線危険(である可能性を冷静に判断・対処し、多少大げさであっても皆を守る方を選ぶ)国」ってかんじかな・・・






posted by sukima at 04:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 政治家・政権 | 更新情報をチェックする

2011年08月19日

コクリコ坂から

「民主主義」という言葉がある。わたしもよく使うが、使っていてこんなに不安になる言葉も珍しい。というか、他の不安になる言葉なら使わずに避けて通ればすむところ、民主主義に関しては、自分の言いたいことや感じていることを表現するために、使わないでいられないのだ。


何が不安にさせるのかというと、まず自分の語法(民主主義観)が合っているのかどうか不安。
次に、民主主義について他の人がどう思っているのか、はなはだしく不確か。
次に、民主主義というものは、よその国の民族衣装を着るみたいに日本人になじまないのじゃないかという、不安。

内実このレベルで民主主義民主主義とブログに書いている(検索したら7つの記事で使っていた)のだから、我ながらびっくりだが、よくわからないながらも重要な気のする「民主主義」だからこそ、テーマになってしまう。(直近では、前回の「小沢さん」で使っている)


しかし、民主主義が光に照らされる輝く言葉であるとは決まっていない。
特に、民主主義が表す最大の要素は「多数決」である。
多数決であるから、そこには少数者が必ずいる。
少数者は多数者にくみしなかった者であり、多数派が形成する世の中からはみ出した者だ。
それゆえにこそ、才能ある者(基本的に少数者)である作家や画家や芸術家などに、どちらかというと批判(や揶揄)されてきた。いや、場合によっては激しく憎まれていたかもしれない。
その影響なのか、民主主義に、わたしは子どもの頃からあまり良いイメージは持っていなかった。


その一方、日本における民主主義、すなわち「多数派を形成する方法」は、「まぁまぁみんな仲良くね」という和を尊んでのものだっり、金や贈答品の力だったり、場の空気--同調圧力--だったりしがちだった。

そうやってきたことの弊害が、今、あちらこちらでマグマのように吹き出している。
その典型中の典型が原発事故ではないだろうか?
原発事故の直接の要因である原発ムラと言われるらしい組織的な腐敗と、安全と信じ込まされて、いつの間にかそれが完全に多数派=真実と化してしまったワレワレの社会。

原発事故があぶりだしたものは、学者の世界にしろ官僚の世界にしろ報道の世界にしろ政治の世界にしろ、政治家を選ぶワレワレにしろ、どれも「民主」的に行われていなかったんじゃないか? その事が原因なんじゃないか? という、いやでもたどり着いてしまう疑惑だ。


どうして、こんな方向へ来てしまったのか?


それに、どんなだったら良かったのか?



5月に東京新聞で「原発事故を予言していた詩人」が紹介されていた。
若松丈太郎さんという詩人だ。若松さんは、若い頃「チェルノブイリ原発事故を見学する福島県民調査団」に参加して、原子炉を見学した。コンクリートで覆った「石棺」の側まで行った時、放射線量計の針が振り切れたことにショックを受けた。自分の町にも原発(福島第一)があるため、重ね合わせたためだ。若松さんは帰国して、「神隠しされた街」という詩を書いた。

若松さんは、実際にチェルノブイリを見てきて、線量計が振り切れて、という経験をした。
さらには、それを詩に書いた。
『神隠しされた街』という。( 参照
経験と詩作という得がたいものをもってしても、その声はほとんど誰の耳にも届いていなかった。
どうして、詩人の言うことに、人々は耳を貸さなかったのだろうか?

何かがその声をかき消してしまった。

それに、何かを詩よりも価値を上位に置いてしまった。

それは何なんだーー!!?


☆ ☆ ☆


そんなで『コクリコ坂から』だけど

作中、風間俊が演説をかますところがある。曰く

「古くなったから壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け!
 古いものを壊すことは 過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?
 人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!?
 新しいものばかりに飛びついて 歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!
 少数者の意見を聞こうとしない君たちに 民主主義を語る資格はない!!」

なかなかにウザイやつだ、風間くんは。

あーうるさ。

と、思ってしまった自分もいたが、ウザイと思うなら自分も演説をかませばいいのだ。
もしも、演説ができないなら、何か他の方法で。

この時の風間俊だって、壇上からはじき飛ばされて、一般席の椅子に昇っての演説だ。

かように、自分の主張のために言いたいことを言う風間俊。

さらには、ひょっとして実のいも・・・(ネタバレにつき自粛)

かもしれないのに、はっきりとコクる海。

誰もかれもが真っ直ぐで眩しい。

その真っ直ぐさを支えるのは、ていねいに細やかに誠実に作画された背景だ。
海の見える高台の庭。緑豊かな坂のある町並み。「カルチェラタン」のいかにも男の魔窟っぽい混沌ぶり。対照的に、当たり前の生活が愛しくてたまらなくなるピカピカの台所。(帰ったら台所掃除しなきゃとマジに思った!!)

『コクリコ坂から』の舞台は、1963年の横浜だ。

1963年にはあった「民主主義」が、どうしてなくなってしまったのか。

今わたしにそれを分析する力はないが、1963年に曲がる道を間違えたのだとしたら、もう一度あの場所に戻って曲がり直したい。そして開かれるのは、「少数者の意見」に耳を傾ける社会だ。

「偉い」とされる人の言うことを一方的に聞かされるのじゃない、バカにされることを怖れて何も言えなくなるのじゃない世界だ。

第一、ほとんどの人が、自分も少数者であることに気がつく社会だ。
なぜなら、たくさん人と話し合うから、同じ人間はいないと気がつく。
さらにおまけで、人と話し合うことが楽しくて仕方なくなる。

実際問題、それくらいいくのが民主主義ってやつだと思う。苦痛では続かない。

話し合いを苦痛にさせるやつって、やだなと思う。



☆ ☆ ☆

主題歌
手嶌葵 さよならの夏~コクリコ坂から~
手嶌葵さんの他に、倍賞千恵子さんとか森山良子さんとかめっちゃ歌のうまい人が歌っているのですね・・・・・


posted by sukima at 04:01| Comment(2) | TrackBack(0) | Review | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです / マル激トーク・オン・ディマンド --ビデオニュース・ドットコム-- もしくは、「1ミリシーベルト」が意味するもの

■まえふり
原発の事故以降、放射線の恐怖についてよくなされたのは、「正しく怖がりなさい」とか「怖がりすぎず、怖がらなさすぎず」(にいなさい)など、「そんな器用なことができるかっ」という無茶な相談だった。

人のツイッター見てたら「むしろ人間の正しい怖がり方を教えて下さい」というのがあって可笑しかった。
今でこそそんなことはなくなったが、わたしも大昔は、男性という男性全部が強姦魔に見えて怖くてならなかったし、最近ではピンポンならす訪問者がみんな新聞の強引な勧誘員に見えて怖い。もっともこれは50%の確率で当たってたりする。

しかし、「正しく怖がる」という器用な心理状態を、事故後の今は保っていなくてはならない。
というか実は、事故が起きる前から、「原発」というものが存在する以上は保っているべきだったのだ。
ところが、 念のいった「安全神話」 のせいでその機会は失われた。
だからといって安全神話がなかったなら、みんな正しい怖がり方をキープしながら生活し得ただろうか?
わたしは、無理だったと思う。
想像するに、原発近くのある人はキープできず放射能恐怖症に陥り毎日ビクビクしたあげくに不眠症や胃潰瘍。ある人は我慢ならず「原発反対」という市民運動を立ち上げただろう。おとなしく正しく怖がっているだけなんて、人の暮らしじゃないと思う。


■ここから本文

以下、文字起こしではなく(文字起こしは非常に神経を使う作業なのでたまにしかできないのです)わたしの直感的理解と感想が大半なので、ぜひ本編を見てください。月額500円は決して高くありません☆


マル激トーク・オン・ディマンド 第539回(2011年08月13日)
「人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです」
ゲスト:崎山比早子氏(高木学校メンバー・医学博士)



この回は、被曝という事態に対して、あるいはその意味づけをする科学というもの対して、どのような認識を持てばいいのかを追求してくれた。
ことに、科学者によって言うことが違うというのはどういうことか? 科学とは政治や経済から独立したもっと純粋/客観的なものじゃなかったのか? という疑問に答える。
さらに、実はよく知らなかった、「ミリシーベルト」という単位について。

今も、東電や原子力委員会、原子力安全・保安院などなどに対して怒りは収まっていないけれど、あえて怒りの念はわきにおいてこの回を参照する。同様に、乳児幼児をもつ親の心情も今は脇に置いて考えてみる。


Q:1ミリシーベルトというのは、何を意味するんですか?

A:全身にある各細胞に、放射線が一本づつ通るのが、1ミリシーベルト。(成人の場合)全身に細胞は60兆個あるから、60兆本放射線が通る。ただし、DNAに当たるとは限らない。また、DNAの二重らせんのうち一本に当たっただけなら修復できる。
二重らせんの2本ともに当たると切断される。ただ、2本鎖切断でも修復できないとは限らない。
また、一回に100ミリシーベルト浴びるのと、10回で100ミリシーベルト浴びる場合はリスクが違うと言われる。実験的にも期間が長いほど修復される。


(図解入りだと、このブログが参考になる。↓↓
放射性物質~11 by ブログ・万年山にあきふかく)
細胞模式図 by かがくナビ

ということで、何重にも修復の機会があるので(神保さんは「保険がある」と表現していた)、人とはさすがに放射線だらけの中を進化してきた生物の果てだけのことはあると、感心した。それに、幾分安心した。

わたしも1ミリシーベルトの意味することなぞ知らなかったので、なるほどおと深く納得。
ネットにはグレイとシーベルトの関係など難しいことはよく書いてあるが、こういうのは意外とどこにも書いていない。


それにしても60兆個全部に浴びるというのはすごい話だ。数が数だけに、細胞のうちのどれかのど真ん中を通過し、DNAを直撃する確率は、いくら修復してくれるとしても無視できない。

さらに子どもの場合、成長過程であるから、DNAのコピーとそれを設計図にした細胞分裂が盛んに行われている。「年間20ミリシーベルトまで安全」という考えに従うと、全身の全細胞の一個一個に、放射線が一年間で20本ずつ通る、ということで。その中のどれかが、今まさに活発に活動している細胞のDNAを直撃するかもしれないのだ。発がんのシステムは現在の科学はほぼ解明しており、遺伝子の損傷によるものだという。

ましてや100ミリシーベルトまで許容など言い出したら、全身の全細胞いっこいっこを100回も通過なのだ。


Q:どうして学者によっては、100ミリシーベルトまで安全というのか?

A:学問ではなく、経済なり社会なりのレベルで言っている(のでしょう)。
  学問としては、そのような考えは論外。現在、発がんの仕組みはDNAの損傷によると、科学として解明されている。

(ここで図を出し。100ミリシーベルト以下の低線量被曝について「証明」するには、10万人を10年間追跡調査しなければ「証拠」のデータはでず、そんな母集団の大きな調査は無理。そこをわざと利用した言い方をしている。といった意味の説明が入る)

高木学校

崎山氏が属する 「高木学校」 は、市民の立場に立ち、市民の不安を共有することを理念とした科学者(市民科学者)を育てる場であるという。
わたしも今回初めて、高木学校および創設者の高木仁三郎という人を知った。
(たとえば何をやるのかというと、医療被曝問題などがあり、世界中の1/3のCTスキャンが日本にあるそうである)

Q:今、高木さんが生きていたら、この状況の中何をしたと思いますか?

A:(なくなった人の事だから非常によく考え)もっと、海外の人と一緒にしたんじゃないかと思う。海外の科学者から見ると日本は閉じている。彼は、そういうところは、外に向かってやっている人でしたから。
情報が向こうへ行って、国際的な市民科学という立場から、原発を収束させる方向でやっていったと思う。
収束させることが一番なので、そこに集中したと思う。



☆ ☆ ☆


先ほどツイッターで得た情報。
SATURDAY, AUGUST 20, 2011
放射線研究で世界に冠たろうとする山下俊一教授、独シュピーゲル誌とインタビュー
ドイツのシュピーゲル誌のインタビューに応じた長崎大・福島医大の山下俊一教授、いろいろと過去の発言について鋭く突っ込まれています。


最後のほうの山下氏、
シュ:あなたはご自身の数々の発言のため世間で物議をかもしている。あなたを刑事告発したジャーナリストがいるし、反原発の活動家は……

山下:……そういう人たちは科学者ではありません。医師でもなければ放射線の専門家でもない。研究者が研究を積み重ねてきめた国際基準についても何も知りません。皆さんが噂や雑誌や、ツイッターの情報を信じているのを見ると悲しくなります。


山下氏は、科学者や詳しい専門家が多く山下氏を批判しているのを知らないのだろうか?
仮に山下氏にたくさん譲歩し、深刻になっている福島県民を励ましたいから、と解釈しても、もっとマシなアドバイスはできただろうし、今もできるはずだ。

なのにこの人は
シュ:どれくらいの人が被験者になるのか。

山下:200万人の福島県民全員です。科学界に記録を打ち立てる大規模な研究になります。政府は原発事故の被害者に対する補償金について先ごろ決定を下しました。そうした補償プロセスを通じて、県外に避難している住民の方々にも連絡を取りたいと考えています。


と、関心の方向が癌予防やリスク低減ではなく、実験の方へ行ってしまっている。

いくら「避難」や「疎開」が大変だからといっても…

山下氏は、悪人というよりも、どこか奇態な精神構造をしていて、独自のワールドを完成させてしまっている。だから誰の話にも耳を貸しそうにないのだ。しかも福島に移住して、本格的にマッドサイエンティストとして活躍する気だ。

とてもじゃないが、この状況には、誰か第三者が介入しなければ。
必ずしもぜったいにみんな癌になるとかならないとかではなくても、科学者一人はきつい。


☆ ☆ ☆


だんだんと頭がクラクラしてきた。
さらに今見たら、
非常事態!実はもう手がつけられない!共用プール付近から水蒸気が噴き出している〈原子力緊急事態宣言>
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/714.html
投稿者 広島県内 日時 2011 年 8 月 21 日 21:42:07:


↑もういやだ…。

しかし、以前よりは、正しく怖がれそうな気がしてきた。


というか、正しく怖がると正しく怖がらないより、もっと怖い気がする…


☆ ☆ ☆

さっき試しにサイエンスポータルというところ見たら、元原子力安全委員会 委員長代理 松原 純子 氏というひとの文章が載っていた(掲載日:2011年5月7日)
政府系の人にしてはマシなことを言っているように思ったけど

「『どんな微量でも放射線は発がん性の影響がある』という前提は現実的でない」などと、やはり時代遅れなことが書いてある。崎山氏の話を参照すれば、幾重にも修復のチャンスはあるとはいっても、「影響がない」とはいえない。

「市民科学者」であるのとないのでは、頭のさえ方が違うのだろう。
この人の立場としては、ちゃんとした事を言っている気はするが…

「(原発を作る)工学(管轄:経済産業省)にとっての放射線の量の感覚にくらべ、放射線防御の立場(管轄:文科省)にとってのそれはきわめて微量である」というのは、いかにヒトにとっての原発が扱いがたいものかをあらわしている。


☆ ☆ ☆

正しい怖がりのための材料が、そろってきた。

1ミリシーベルトの定義にしろ、バズビー氏の「空中などの複数の核種」、さらには、食べ物に注意する必要性、あるいは

あと必要なのは、データだ。
野菜や魚介、卵、牛乳など、ちゃんと計測して数値を出さないといけない。



チェルノブイリでは、「今これを食べたら10年後に死ぬ」と言われても、貧しくて食べ物が他になく
「これを食べないで今死ぬよりも、今これを食べて10年後に死ぬ方を選ぶ」
といって、知っていて危険な食品を食べたという。
(広川隆一氏がニュースの深層で語っていた)

それくらい貧しくて、選んでいることができない人が多かった。

日本なら、そこまでは貧しくないはずだ。
内部被曝を最大限へらすようにすれば、かなり被害は減らせる。
崎山氏も、この点、図とともに教えていた。


広島、長崎、チェルノブイリの人々がすでにいろいろな事を教えてくれている。

その知見を生かせないでいるのは、日本だけだという。

山下氏、どんな「実験」をする気にしろ、そっちのほうが先決ではないだろうか!!





☆ ☆

崎山氏牛肉からも高濃度の放射性セシウム検出 放射能が身体に与える影響を考える 崎山比早子 元放射線医学総合研究所主任研究員・高木学校メンバー インタビュー (ダイアモンドオンラインの7月15日インタビュー記事。



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卵も牛乳もバターも使わないお菓子

卵も牛乳もバターも使わないお菓子

本屋で、 ヨーガン レール ババグーリのお菓子 (1,365円)をみつけた。

1,365円というお値段は高かったけれど、「卵も牛乳もバターも使わない」とのことなので、セシウム回避のために買ってみた。

(といっても発行時期から推して、放射能のことは関係ない出版物)

続きを読む
posted by sukima at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 小ネタ | 更新情報をチェックする

2011年08月31日

最近みた、原発関係の動画三本

☆1: ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)

☆2:8/28 ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3」

☆3: 第5回目調査 福島第一原子力発電所から飛散している、放射性物質と放射線量の実態調査を行うために結成した放射線調査チームが、2011年8月6日、17日、18日、19日に行った、第5回目調査報告です。 - 2011-08-30
ページ中の動画は、「グリーンピースインターナショナル放射線アドバイザー ヤン・ヴァンダ・プッタ氏のお話し」


NHKの「ネットワークでつくる放射能汚染地図3」を見た。
赤ちゃんのいる家庭の室内の線量1.2マイクロシーベルト/h が屋根の除洗で0.6まで減った。
科学者木村氏は、この事が示す意味をていねいに優しく、赤ちゃんの家族に説明していた。まかり間違っても、何年後に何病になるだの、DNAの二重らせんを切断してなどと、そんな恐ろしい話しはしなかった。絶望させるような恐ろしい話をしないのは当然といえば当然だし、実際、ここに何年も住み続けるのでない限り、大きな被害はないと思う。(…よく分からないが。いざとなると確信がもてない)
法定1ミリシーベルト年間は超えてしまうのは確かだけど、しょせん法律の問題にすぎない、というスタンスを取るのも、赤ちゃんとその家族のためならいいかもしれない。また、番組は、「いづれこの場を去った方がいいのかなぁ」という選択を選びつつある家族の気持ちも映し出していた。


☆3のグリーンピースの会見では、除洗していったんは線量が低くなってもまた高くなる場合もあることを言っていた。地中にもぐっていたセシウムがふたたび地表に出てくるという。これは、植物の根に吸い上げる性質があるため。いかに、長期的な視野に立ったプロジェクトが必要か、ということだ。
また、短期的には、汚染されたモノが拡散するのを防ぐこと。保管と管理、ということをしないといけない。
ヤン・ヴァンダ・プッタ氏は質問に答え、ボランティアや自治体に任せるのは無理があり、中央政府が責任をもって取り組む必要を強く説いていた。
そして除洗プラス避難、という方向を強く示していた。

ここらへん、「新しい首相」が、強く国際的に注目されていると感じさせる内容でもあった。


☆1はわずか10分弱の中に、現地に取材した内容が見解とともに入っていて、何が何やら分からなくなっているうちの子どもにもURLを教えたもの。

優しくぼかしすぎると何が何やらわからなくなり、逆にゲスな危機意識の持ち方が跳梁跋扈しはじめるような、いやな感じがする。
事実から目をそらしてばかりなのもどうなんだろう?


あと、NHKに思うのは、赤ちゃんの家庭に優しくするのはいいが、その優しくやんわりを、政府や東電、経産省に対してももつなら、そんなのは大きな大間違いだ、ってこと。

それと日本オリジナルばかりではなく、国外の見解も取り入れていいのではないかということ。



posted by sukima at 02:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力発電所 | 更新情報をチェックする
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